もう一度会いたい人がいる。それは、小4の時の担任、原田先生。そう、前記事の中でガキ大将を張り倒した先生である。この人については、これまでにも何度か書いたことがあるから、ベテラン読者の皆さんはよくご存知だろうと思うのだが、最近、新しく読者となってくれた人たちの為にもう一度書いてみようと思う。この人について書くのは、何度書いても楽しいし。
原田先生は、本来、担任になるはずだった先生が産休に入ったので、その代わりにやって来た先生の卵だった。生まれて初めて見た壮絶な美人で、冗談抜きでこの人に似ていた。
「綺麗な人だな…」見惚れていると、教室の後ろの方までダァーッと走っていって、「すん!」のガキ大将を張り倒したから、皆、唖然として凍り付いた。俺は「頭の良い人だな」と思った。というのも、担任になった初日に、一瞬にしてクラス一やんちゃな、クラスのリーダー格を、皆が見ている前で捩じ伏せたからである。押さえるべきところを押さえたとでも言おうか、「彼が逆らえないんだから誰も逆らえない」皆、思った。
担任になった原田先生が最初に言い放ったクラスの決め事は、「アンタらの揉め事はアンタらで解決しなさい。絶対に先生に言い付けないこと。言い付けられても先生は知らん」だった。これは衝撃だった。それまで、何か揉め事が起こると先生に言い付けて、先生に解決してもらうのが当たり前だったのに、それが禁じられたんだから、本当に驚いた。「そんな馬鹿な…」皆、思ったと思う。でも、蓋を開けてみると不思議なことに、皆、何か揉め事か起きても慌てず、自分たちで解決するようになった。そして、揉め事自体がなくなった。
皆が学校にこっそりオモチャを持ってくるようになった時も、原田先生のやり方は皆の度肝を抜いた。「持ってきたらアカン」と言うのかと思ったら、真逆で、「じゃんじゃん持ってきなさい」だったからである。そう言われると、一気に冷めた。皆、オモチャを持ってきて自慢して喜んでいるのは金持ちの子供だけであることに気付いて、馬鹿らしくなって、僅か数日で誰もオモチャを持ってこなくなったのである。
実を言うと、張り倒されたのは「すん!」のガキ大将だけではない。俺も一度、張り倒された。広報委員の仕事をサボったからである。めちゃくちゃ怖かった。後にも先にも、俺を張り倒したのは、親父と原田先生の二人だけである。
原田先生は、子供の独創性を何より大切にした。独創的であれば、たとえそれがちょっと滅茶苦茶なことであっても、一切怒らず、それどころか物凄く嬉しそうな顔をして応援してくれた。俺が授業参観の時に、牛乳パックと輪ゴムでギターを作って持っていった時も、これでもかと言うくらい喜んで、褒めてくれたし、テストの回答用紙の裏に絵を描いた時も「素晴らしい!」と大きな花丸を書いてくれた。
学級会で、クラスの意見が真っ二つに分かれて、壮絶な論争になった時、原田先生は脚と腕を組んだまま一切口を挟まず、皆が、自分たちで問題を解決するのをじっと見守っていた。そして、問題が解決すると、皆に「校庭空いてる?」と訊いて、「空いてる」と答えると、「じゃ、みんなでドッジボールでもしてきなさい!」と言って、皆を送り出した。わあああ!皆、奇声を上げて飛び出した。学級会での論争で熱く、固くなっていた頭が一気に解放されたような感じがあって、なんか、素晴らしい光景、感覚で、「俺、これ、一生忘れないだろうな」と思ったし、「原田先生は最高だ」と心から思った。
カナヅチの俺が生まれて初めてクロールで25m泳げたのも、原田先生のお陰だった。25m先のプールサイドにしゃがみ込んだ原田先生が、笑顔をギラギラ輝かせて手を叩きながら、「さあ、いっけちゃん、ここまでおいで!」と言うので、何も考えず、先生の期待に応えたい一心で、水をガブガブ飲みながら一心不乱に泳いで、泳ぎ切った。おそらく、生まれて初めて強く「期待に応えねば」と思った瞬間であり、応えた瞬間だった。
5年生になって、原田先生がいなくなると、途端にまた泳げなくなったけど…。