PAUL McCARTNEY

(写真上)『エジプト・ステーション』初回限定盤。(写真下)「お前今メンチ切ったやろ?」「ぼ、ぼく、そんなんしてませんよ…」

今月7日に発表されたポールのニューアルバム『エジプト・ステーション』は、良く言えば「味わい深い」、悪く言えば「パンチに欠ける」アルバムだと思う。

プロデューサーはリアムの『AS YOU WERE』を手掛けたグレッグ・カースティン。アナログっぽい質感で暖かい俺好みの音。さすがは売れっ子。良い仕事してる。アルバムのトータル感についても、コンセプトアルバムということもあり、まとまりがあって良い。前作『NEW』のようにデジタル感の強い、固く冷たい音ではないし、後半にダレてくることもない。心地よくサラッと聴ける。でも、この「サラッと」というのが問題。

『NEW』の収録曲にはパンチがあった。特に前半の流れが強力で、前半だけで勝負アリな感じがあった(何度も言うようだが、後半はダレる)。でも、『エジプト〜』の収録曲には驚くほどパンチがない。シングル扱いの2曲にすらパンチがないから、引っかかりなく最初から最後までサラッと流れて「あれ?終わり?」という感じになってしまう。あまりにウケ狙いでない、まるでポールが淡々と書き綴った日記を読んでいるような感覚。

ただ、相手は天才ポール・マッカートニー。繰り返し聴くうちに曲の輪郭がはっきりしてきて、ある日突然「!!」みたいなことになるのかもしれない。実際、ビートルズ以降のポールのアルバムにはたまにそういうのがあるから油断は禁物。後になって良さに気付いて、「俺もまだまだアカンな…」と凹んだ経験が一度や二度ではない俺が言うんだから間違いない。


LIAM GALLAGHER

ヴォーカリストとして、人間として、「和田怜士」はこの男の存在抜きには語れない。

リアム・ギャラガー大阪公演を観てきた。

オアシス時代の曲が6割、ソロアルバム「AS YOU WERE」からの曲が4割、そこにビーディ・アイ時代の曲を1曲交えたセットリスト。あっという間の1時間20分だった。

声の調子が良くなくてイライラしている様子が窺えた。一曲目の「ロックンロール・スター」で早くも咳き込んでいた。高域が出ない。「フォー・ホワット・イッツ・ワース」や「ワンダーウォール」のサビはオーディエンスの大合唱がフォローして、リアム本人は歌わなかった。でも、それでもやはり、ドスの効いた中域の声が最高だった。キーボードの音のみをバックに歌った「シャンペン・スーパーノヴァ」、会場全体が揺れた「シガレッツ&アルコール」、待ってました!としか言い様のない「ホワットエヴァー」「サム・マイト・セイ」「スーパーソニック」「リヴ・フォーエヴァー」。これでもかと名曲を連発されて完全に捩じ伏せられた。

ライヴ後、立ち寄った居酒屋。隣のテーブルに若いバンドマンが4人いて、そのうちの一人が興奮気味にこんな話をしていた。「B’zのライヴ観に行ったんやけど、稲葉さんの調子が悪くて…でもウルトラソウルで盛り返してた!」

「どうでもええわ!」と言って、ビールをひっかけてやろうかと思った。


能ある鷹の爪の数

<作詞/作曲>和田怜士。純然たる俺のオリジナルがあと2曲。あと2曲で50曲に到達する。なにがなんでも年内に達成したい。

51曲目ができたら、それまでに書いた50曲の中から51曲目よりも劣ると思われる曲をボツにする。これを繰り返して50曲全体のクオリティーを上げていく。ま、これまでも同じようなことをしてきたからなかなか50に到達しなかったんだけどね。

とりあえずあと2曲、短いけど歌い応えのある曲を書きたい。「バタフライ」を皮切りに、「道化師の息子」「FLOWERS IN THE DIRT」「綺麗な動物」「紙吹雪舞う」「復活の予感」「果物をてんこ盛った巨大なケーキ」「ランドセル」「SURFBLUE」「伊丹DABADAで逢いましょう」「savvy?」と、25、6歳の頃を彷彿とさせる絶好調な流れの中にあるから、きっと素晴らしい曲が書けると思う。

それにつけても「歌い応え」。この言葉こそ長年曲を書いてきて辿り着いた新しい感覚。

俺は何者か。ソングライターだ。


太鼓判DX

ライヴ後4日間。昨日の夜にライヴ音源を聴くまでの間、心身ともに調子が悪かった。なんだか情緒不安定だし、体調も二日酔いと寝不足が混ざったような状態が続いていた。その理由が昨夜、音源を聴いて判明した。自分の中に何も残らなくなるまで吐き出し切ったことの反動らしい。

俺の中で、観に来てくれた人たちへの感謝の気持ちと、目の前の喧しい客への怒りが混ざり合って化学変化を起こした。感謝の気持ちが怒りを増幅させて、怒りが感謝の気持ちを増幅させて爆発炎上。頭が吹っ飛んで自分が自分でなくなっていた。力の限りに踏み付けたアクセルが足を浮かせても戻らなくなっていた。何が何だか訳がわからなかった。ほとんど何も覚えていない。だから、音源を聴くまでは、自分でも良かったのか悪かったのかわからなかった。

断言する。完璧なライヴだった。ロックとして完璧。「誰か他にこれができる奴がいたらやってみろ!」と声を大にして言える、俺らしいとしか言いようのない、意図的に再現できるものではない、素晴らしいライヴだった。良かった。本当に良かった。安堵。今はただひたすらに嬉しい。

今朝、大勢の珍客で賑わうマツコ・デラックスの別荘に招かれてどんちゃん騒ぎ、大いに笑う!ーという夢を見て目が覚めた。ようやく心身ともに元に戻った。すこぶる快調だ!


ライヴ決定

2018.11.18.SUN 伊丹DABADA

次回ライヴが決定した。出演者はまだ確定していないが、今月、伊丹グリーンジャム2018への出演を果たしたコーラスグループぱあるさん。そして、前回のヒラタユウイチさん同様、俺からのオファーを快諾。当ブログではお馴染みのバニーマツモロさんの出演が決定している。

音楽には「グルーヴ」というものがある。複数のアーティストが出演するイベントにも、イベントそのものにグルーヴの有無がある。

グルーヴは一種の「渦」だ。観に来てくれた全ての人たちを巻き込んで呑み込む渦のようなイベントにすべく、俺も全力を尽くす!


許して下さい

前回の月例で知り合ったボーカルグループ・ぱあるさん(写真左)も、雨の中、観に来て下さった。

この人のためにも、落ち着いて、キリキリと言葉を聞かせるライヴにしたかったんだけど、いかんせん、目の前のクソボケどもが許せなくてイライラしちゃって、バリバリのロックになっちゃって…。

でも、あの、俺、ロックの人だから、どうか許してください…。


オヤジとオカン

⬆︎伊丹DABADAのマスター&ママさんと。

ライヴが終わって、出し切って、疲れ切ってうなだれていると、ママさんが俺の肩を揉みながら、「怜士くんはうちの息子や!」と言ってくれた。

「和田怜士」にオヤジとオカンができた瞬間だった。


アイドル

ヒラタさん、素晴らしかった。本当に素晴らしくて、聴きながら必死で涙を堪えていた。

「一緒に写真撮って下さい!」と言って、撮ってもらった。

ヒラタさんは「和田さんの方が良かった」と言った。

俺は「ヒラタさんの方が良かった」と言った。


死ね!

目の前に、音楽を聴く姿勢皆無の、ゴミのような客がいて怒り狂ってしまった…。

<セットリスト>1.伊丹DABADAで逢いましょう 2.モナリザ 3.バタフライ 4.紙吹雪舞う 5.ハングリーマン(恋の尊厳死) 6.savvy? 7.未来へ

ハングリーマンを歌う前に、「クソやかましいお前らに捧げます」って言いかけた。

ダバダじゃなかったら、間違いなく言ってた。


不謹慎記事

⬆︎最も神を語る資格のない男。

活断層の上にあり、時季になれば台風にも見舞われる。そんな国で「不謹慎」という言葉を無駄にでしゃばらせてしまうと何もできなくなる。笑いも芸術もスポーツも事あるごとに立ち止まらないといけなくなる。

俺は音楽をやってる人間。こう見えて、災害があるたびに、それなりに、「例えば今、音楽は不謹慎なんだろうか」ってなことを考える。

結論から言えば、音楽をただの娯楽だと捉えている人は不謹慎だと言うと思う。そして、そりゃそういうふうに考えるのは当然だし、それはそれでいいと思う。間違いじゃない。でも、音楽をただの娯楽だと捉えることができない人。音楽抜きには自分と自分の人生を語れない、「音楽に救われた」くらいに思っている人にとっては、音楽の力を知っているという意識があるだけに、不謹慎ではないと言うと思う。口に出して言わないまでも、胸の内では呟いていると思う。で、これまた、間違いじゃない。

他にできることがあるのなら、その都度、状況に合わせたできることをやればいいけど、他にできることがないのなら、他にできることがないんだから、自分にできることの力を信じて、できることを精一杯やればいいと思う。それが不謹慎な事なのかどうかについてはとりあえず、都合良く、神様の判断に委ねて。

もし、人それぞれに能力と役割を与えたのが神様なら、精一杯やってる分には不謹慎だとは言わんでしょう。