全曲新曲ライブを振り返る

<セットリスト>1.口車に乗って 2.アイボリー 3.waterfall 4.赤い雨 5.orange 6.香しき日々 7.雫

全曲新曲ライブが終わった。良いライブになったと思う。ライブ後に受けたお客さん、演者さんからのコメントによれば、一番反響が大きかったのは「orange」で、その次が「waterfall」。でも、ステージ上から見ていて感じるものが一番大きかったのは「赤い雨」。良い意味で、すごく良い意味で、お客さんの顔から笑顔が消えていた。話し声も一切しなかった。深く聴き入ってくれているのを感じた。ま、名曲なのはわかってたけどね。

いつも観に来てくれる幼馴染みが「仕事のストレスが吹っ飛んだ」と言ってくれたので、「ロックやってる人間としてそれ以上に嬉しい言葉はないよ」と返した。

バニーさんが観に来てくれた。俺の目を見て黙って何度も頷いて「今度のツーマン、完全にボクを潰しにかかってるやろ」と言って不敵に笑った。

バレた?(笑)


ロックンロール・ウェザー誌8月号(巻頭インタビュー/和田怜士)

実は結構寂しかったりするんだよ(笑)

Q いよいよ明日に迫ったライブですが、予告されていた通り全曲新曲で行われるのですか?

A うん。途中、ちょっと迷ったんだけど、想定外に「waterfall」っていう曲ができて、それまでに完成していた7曲の中から1曲削って順番を入れ替えたらいい感じになったんで、「よし!これでいこう!」と。

Q 今回組まれたセットリストにこれまでになかった特色のようなものはありますか?

A 後半がヘビーだということかな。これまでは後半、特にラストに突き抜けるような曲を持ってくることが多かったんだけど、今回は良い意味で後味の悪い、重い感じに仕上がってると思う。

Q リハーサルは順調に進みましたか?

A うん。たまにスタジオにゲストを迎えたりなんかしてね。誰かと一緒に音楽やるのは久しぶりだったし、スタジオで人と話をすること自体が刺激的で楽しいことだったよ。いつも誰とも口をきかずに黙々とやってるからね。それって実は結構寂しかったりするんだよ(笑)

Q その寂しさからまたバンドをやりたいと思われることはないんですか?

A ない…とは言えない。いつも言うように「サポートバンドを従えて」というのならやってみたい。主役がハッキリしているのなら…つまり、俺を主役に立てて、脇を固めることに徹して、それを楽しんでくれるというのならバンドもアリだなと思う。でもそうじゃなくて、メンバー全員に平等に発言権があって、全員で一つの名前、バンド名、看板を背負ってやるバンドとなるともう全く興味がない。もし、また誰かと一緒に同じ看板を背負って音楽やるのなら、バンドではなく、何か別の形でやりたいね。

原点回帰的な、ささやかなサプライズを用意してるよ

Q 明日のライブに向けて配信を開始されたPV「orange 」を拝見しましたが、これまでになくポップでキャッチーな楽曲ですね。

A 痛快だろ?こういったタイプの曲は「果物をてんこ盛った巨大なケーキ」以来だ。あれで味をしめたんだ(笑)曲を理解しようとする必要がない。聴いたまま、そのままを受け止めればいいんだから。誰かに突然紙を渡されて、そこにデカく「好き」って書いてあったら、それはもうそういうことだろ?深読みする馬鹿はいない。深読みのしようがないんだから。っていうか、わざわざ紙に書かずに面と向かって言えよ!というね(笑)シングルにこの曲を選んだのはつまり、そういうことだよ。

Q 映像については何かありますか?

A あえて編集に失敗したものを選んだんだ。冒頭の「orange 」の文字が右にズレてるだろ?拡大したらズレちゃったんだ(笑)でも俺はそれが気に入ってね。失敗=美味しい。この考え方を俺は「ビートルシンキング」って呼んでる。ビートルズに教わった考え方だからね。

Q さて、いよいよ明日ですが、「全曲新曲」の他にも何か新たな試みをされる予定はありますか?

A 「MC」ってほどじゃないけど、少しだけ喋ろうとは思ってる。ライブの流れを崩さない程度に本当に少しだけ。それからもう一つ、原点回帰的な、ささやかなサプライズを用意してるよ。それはまあ、来てのお楽しみだね。

Q それでは最後に、明日ライブを観に来られる方々にメッセージをお願いします。

A 心に、頭に、何かモヤモヤしたものを抱えている人がいたら、そういう人たちにこそ観に来てもらいたい。俺にそのモヤモヤを破壊する手助けをさせて欲しい。俺にできるのはあくまで手助けだけ。実際に破壊するのは君。どうやって破壊するのかって?俺に向かって「ロッケンロー!!」って叫ぶ。それだけ。それだけのことで随分楽になるはずだよ。え?恥ずかしくてできない?じゃ、仕方ない。一生モヤモヤしてるんだな!


THE MONSTER SENIORS

僅か4年とはいえ、介護士をしていた俺の老人観は人よりちょっと歪んでいる。人として終わっている老人を山ほど見てしまったから、老人だからといって特別な見方をしようという意識がない。あくまで「人としてどうか」を見る。年長者だというだけの理由で敬意を払うつもりはない。冗談じゃない。年上でもアホはアホ。老人でもアホはアホ。その代わり、年下であっても尊敬に値する奴にはちゃんと敬意を払おうと常日頃心掛けている。

伊丹でバスに乗ると、大抵、俺以外全員老人。乗った時点で老人だらけ。そこへまた次々に老人が乗り込んでくる。「お年寄りには席を譲りましょう」わかっている。譲るようにしている。でも、それをやってると座れない。全っ然座れない。俺だってたまにすごく疲れてる時とかあるのに座れない。タダで乗ってる奴が座って、お金払って乗ってる奴が立っている。お金払って乗ってる奴が座ったらタダで乗ってる奴らの白い目に晒される。

おかしくないか?

老人のマナー違反も甚だしい。わけのわからないタイミングで自分勝手に「降ります!」などと叫ぶ。車内アナウンスで「運転中の席の移動はご遠慮下さい」と言ってるのに、お前らの為に言ってるのに、知り合いを見つけてはヨロヨロヨロヨロ席を移動する。携帯片手にでかい声で喋っている。一番酷かったのは蝉を持って乗り込んできたババア。狭いバスの中で蝉が鳴き散らかして想像を絶するやかましさだった。頼むから死んでくれと思った。

バスの運転手は老人が乗り込んでくると、転倒防止の為、その老人が席につくか吊り革につかまるかするまで発車せずにじっと待っている。これを各駅で繰り返すとダイヤが乱れる。どうしても遅れる。で、途中で人相の悪い中年のオヤジが乗り込んできて、運転手に「どんだけ待たせんねんボケ!」と喚き散らす。運転手は込み上げてくるものを噛み殺してひたすらに謝る。いたたまれない。あのオヤジも死ねばよろしい。そして、何の面識もない蝉のババアと同じ墓に入ればよろしい。

少子高齢化。子供や若者よりも老人の方が圧倒的に多い。比率が完全に逆転していて、今や社会的弱者って本当は若者の方なんじゃないか?とすら思うのだが、世の中は相も変わらず盲目的に老人を敬うことを強いる。こういうのを「形骸化」って言うんじゃないのか?実際には意味をなさない考え方が幅をきかせている。百歩譲ってこれまで通り老人を敬うにしても、これからは老人も若者を敬わねばならんのではないか?

挨拶をしても返事をしない老人が掃いて捨てるほどいる。人に何か手助けをしてもらっても「当然だ」とでも言いたげな顔をして「ありがとう」を言わない老人が腐るほどいる。「最近の若いもんは」という言葉は大昔からあるけど、「最近の年寄りは」という言葉は聞いたことがない。でもこれからはちょいちょい耳にする言葉であるべきだ。でないと、老人の人格的な水準は下がり続ける一方で、そのうち本当に敬われなくなる。

今回、この記事を書くにあたって、モンスターペアレントならぬ「モンスターシニア」という言葉を思い付いた。新しい言葉を作ったつもりだったのだが、調べてみたら既に存在していた。

皮肉な事に「介護士の視点から生まれた言葉」とあった。


蝶になる!

ご存知の通り、俺は無類の蝶好きだ。最近、元気に飛び回っているのをよく見かける。嬉しい。で、考える。蝶は芋虫の時、自分が蝶になることを知っているんだろうか。それとも、ある日突然蝶になって驚くんだろうか。もしくは、いつか蝶になれると信じているんだろうか。自分の将来について、「信じている」のと「知っている」のとでは意味が大きく違ってくる。

昔読んだ本の中に「本当に夢を叶えたければ、夢が叶うことを「信じている」とは言わずに、夢が叶うことを「知っている」と言いなさい」というのがあった。天才の上に鬼才があるように、夢の叶え方については「信じている」の上に「知っている」があるらしい。

芋虫として生きるのはさぞかし不自由で窮屈なことだろうと思う。もし芋虫が蝶という目標を知らずに一生芋虫として生きていかねばならないと考えていたとしたら…。蝶は高嶺の花で、自分のような醜い者には縁もゆかりもない別次元を生きる生き物だと考えていたとしたら…。それでも前向きに頑張って生きて、葉っぱ食って食って食って、ある日突然蝶になっていて「万歳!」となれば良いが、不自由で窮屈な毎日に終わりが見えず絶望するようなことになれば、そこら中に自害した芋虫の亡骸が転がることになるのではないかと思う。つまり、芋虫が芋虫を頑張れるのは蝶になるという目標があるからで、人間が人間を頑張れるのはなりたい自分になるという夢があるからだと思う。

自分の将来が最も望ましい形で訪れるのを「知っている」というのはそれこそ鬼才の発想。選ばれた人にしかできないのかもしれないし、選ばれている時点で「叶える」という言葉に違和感を感じる。我々のような普通の人間、頑張って天才止まりの人間にしてみれば夢はあくまで叶えるもの。叶えるものである以上は信じないといけないし信じるしかない。夢が現実になることを知っているわけでもなく、夢らしい夢がなくても前向きに生きていけるほどタフでもない人間はとにかく信じるしかない。他に選択肢はない。でも、信じる気持ちさえあれば、少なくとも自殺なんてことは考えずに済むように思う。

たまに蝶が嫌いだと言う人がいて、その理由が「胴体の部分が気持ち悪い」だったりするけど、あの胴体はいわば芋虫時代の名残。あれがあるから蝶は不自由とは何か、窮屈とは何かということを片時も忘れずにいられて、自由に飛び回ることの有り難みを切実に噛み締め続けることができるのではなかろうか。大体、胴体がなくて羽根だけがあるという生き物がいたらそれこそ気持ち悪いだろう。蝶も人間も、納得のいかない自分を経ずして納得のいく自分にはなれない。そして、変身を遂げた後もどこかに必ず苦労した「下積み時代」の名残が残って、だからこそ美しい。生まれた時から蝶。生まれた時から理想的な自分。そんなのはあり得ないし、いたら相当気持ち悪い。そういう意味では「知っている」というのも、なんだかちょっと気持ち悪い。

信じているからこそ努力する。知っていたら努力なんてするか?俺だったらしないな。それはたぶん芋虫も同じ。っていうか、そういえば俺自身が芋虫だ。思えば随分長いこと芋虫やってる。だから、そう、『芋虫は蝶になることを知ってるんじゃなくて信じている』これが結論だ。答えだ。俺が言うんだから間違いない。

芋虫が言うんだから間違いない。


いずれもSURFBLUE

嫌いなものは嫌い。好きなものは好き。

昨日は久々の単独行動。一人、梅田ハードレインへ行き、バニーさんのライブを観てきた。

あっという間の40分だった。

歌詞の中に「誰が見ても灰色の海」というのがあって、やっぱり俺と同じものを持っている人だと思った。この一節の中に日常的な怒りの蓄積と強烈な皮肉があるのを感じた。

わかる?

8月のツーマンライブ。バニーさんと一つだけ決め事をした。それは、共作曲「SURFBLUE」をお互いにお互いのやり方でやるということ。一緒にやるんじゃなくて別々に、それぞれのアレンジでやる。「いかに違うかを楽しもう、楽しんでもらおう」と。

俺は俺のSURFBLUEの方が良いと思っている。

バニーさんはバニーさんのSURFBLUEの方が良いと思っている。

乞うご期待。


先行リリース

本日より、伊丹のスタジオ「とらいする」で、新しいライブ盤『DABADA TV SHOW』の販売を開始した。8月末までの期間限定で¥500。先行リリースだ。

ライブ会場等で直接俺に声を掛けてもらえれば無料で手に入る非売品をなぜ売ることにしたのかというと、スタジオで手に入れる分には直接俺に声を掛けるという勇気を必要としないから。

面識のない人、それも音楽やってる人、とりわけロックやってる人に声を掛けるってものすごく勇気のいることだと思う。その勇気を買って普段は無料にしてるけど、その勇気がいらないのなら勇気の代わりにお金を頂くよ。と、ただそれだけのこと。

それから、本当は最低でも¥1500で売りたいところをなぜ¥500にしているのかというと、俺に直接声を掛ける勇気はいらないまでも、わざわざスタジオまで買いに来るという心意気に感謝したいし敬意を払いたいから。

店長のはからいでベストポジション、フロントの真横に置いてもらった。俺としてはとにかく自分の音楽を聴いてもらえればそれでいいから、ベストポジションを与えてもらった代わりに、アルバムが売れたらその売り上げは全部お店のものになるようにした。

予告通り10枚しか作ってない。そして、既に数枚は予約してくれた人たちの手に渡った。そこへもってきてスタジオで数枚販売する。だから、ライブ当日はごくごく僅かしかない。

スタジオ、月曜と火曜は休みだから気をつけてね。

一人でも多くの人が手に入れてくれることを切に祈ります。


快心の失敗作

最初一瞬「おっ!」と思う。でもそこからの失速感がハンパなくて、「おっ!」を通り過ぎたらあとはもう飲み込むまで徹底的に無味。

阪神の助っ人外国人が得意とする「打った瞬間「おっ!」と思わせるけど結局はグズグズの内野フライ」。あれ!あれの味覚版!

後味も悪いし最低だ♡


ギターについて

俺、和田怜士と言えば、そう、赤いギター。どこへ行っても「変わったのをお持ちですね」とか「初めて見た」とか言われる。実際に耳にしたことはないけど、俺のライブを初めて観た人の中には、ライブの後、店を出てから俺のことを「赤いギターの人」と呼んで、良かったとか悪かったとか言ってるんじゃないかなと思う。

このギター、俺は「ギブリン」って呼んでるけど、正式名称はギブソンJ−180(ギターに詳しい人はエヴァリーブラザーズって呼んだりもする)。ピックガードの形が特徴的で「ヒゲギター」なんて呼ばれ方をすることもあるけど、俺は、これはヒゲではなく女の人の髪だと思っている。ギブリンの髪。で、J−180自体は特に珍しい機種でもないんだけど、この色、チェリーレッドは凄く珍しくて、世界に65本しかない。

救い難い雨女で、とにかくよく雨を降らせる(買った日も大雨だった)のが玉に瑕だけど、音については申し分ない。ギブソンらしいギャリギャリした音で、低音も高音もよく鳴る。ギャイ〜ン!と一発、コードを強く叩いた時の迫力が違う。闘争心を掻き立ててくれる最高の相方だ。

そうそう、俺はギターを相方だと思っている。ギター一本で音楽やってる人たちは皆そうなのかもしれないが、俺は他の人たちと解釈が違う。俺はギターの音を自分の歌を引き立てる「脇役」だとは考えていない。これは大きな違いなのだ。

ライブ前。リハでPAさんに「ギターの音を上げて下さい」と言う。言わなかったことはない。で、上げてもらうが物足りない。さらに上げて下さいと言うと怪訝な顔をされる。PAさんはあくまで「ギター=脇役」だと捉えているから、そんなに上げたら主役である歌の邪魔になると考える。でも、俺はギターと同じ立場でぶつかり合って、その衝突音みたいなものを聴かせたいと思っている。調子が悪い時にはギターに食われる、それで良いと思っている。

他の人のステージを見ていると、演者とギターとのバランス、コントラストからして、ツービートや紳助竜介の漫才を見ているような気がしてくる。主役と脇役がはっきりしていて、ギターがビートきよしや松本竜助に見えてくる。でも俺は、俺とギターの間柄はダウンタウンとか、サンドイッチマンとか、笑い飯みたいであって欲しいと思っている。どちらが主役でも脇役でもない…というところに限りなく近づけたい。だから俺にはあのごく一般的な肌色で木目柄の没個性的なギターはあり得なかった。初めてギブリンを見た時、「コイツなら俺の相方がつとまる!」と思った。板尾創路がホンコンを見つけた時のように。

ギブリンに怒られるわ!


バニーさんについて

人が何を言っているのか、日本人が日本語で話してくれる分には理解できる。ただ、共感できるかどうかとなると話は別。日本人が日本語で話してくれたとて共感できない場合がほとんどなのだが、不思議なことにバニーさんの言葉、考え方には共感できる。「同じものを持っている」という意味では、その「もの」が共鳴しているのかもしれない。

基本的に疑り深い。常に「本当にそうなのか?本当にそれで良いのか?」という疑問符がある。まかり通っているものの考え方というものを基本的に信じていない。理由として「騙されてたまるか」というのがあるのは確かだが、それと同じくらい、もしくはそれ以上に、「面白い考え方を探している」というのがある。面白い考え方というのは煌々と光が当たっているものを真正面から見ていても見つからなくて、斜めから見たり、斜めから見ているものをひっくり返した時に見つかると思っている。面白い考え方が見つかると面白い言葉が見つかる。その言葉を盛るのにロックほど最適な器はないと信じている。

バニーさんの音楽は匂いが先に来て後から味が来る。一般的な味が先に来るタイプの音楽しか知らない人には「わからない」となるのかもしれないが、一度でも匂いの元を辿って味に辿り着くことができればたちまちクセになる。噛めば噛むほど…スルメなのだ。

バニーさんの音楽のベースにあるのは間違いなく60年代後半から70年代前半のザ・ローリングストーンズだと思う。そこにボブ・ディラン的な詩人の風情が絡んでいる。「枯れ感」があって、ラフでルーズ。音楽に響き方を限定する枠のようなものがない。ビートルズがベースにあって、味が先に来て、枯れ感がなくて、決め事が多い「枠ありき」な音楽を身の上とする俺には絶対に真似のできない音楽。ただ、すごく洋楽的な音楽だが、言葉は日本語に徹していて、たまに英語を使うことはあっても安易な使い方をすることは絶対にない…という点だけは共通している。

試しに、ストーンズに「ベガーズ・バンケット」というアルバムがあり、ディランに「ブロンド・オン・ブロンド」というアルバムがあるから聴いてみて欲しい。この2枚がわかるのにバニーさんの音楽がわからないということは絶対にない。あり得ない。逆に、この2枚の良さ、凄さがさっぱりわからないという人にバニーさんの音楽を理解できる日は一生来ないと思う。