『金平糖』解説

<曲について>

メロディーだけを抜き出して聴いてもらえば、骨格が完全に洋楽であって、俺が日本の音楽を聴いてこなかったこと、そして、洋楽は洋楽でもアメリカの音楽ではなくイギリスの音楽が好きで聴いてきたということが一発で分かると思う。

アレンジが冴えている。昔書いた曲にはトリッキーなアレンジを施してあるものが多いが、この曲に関してはトリッキーなことをしようなんて頭はなかった。なかったが、良い意味での違和感はあって、「本当にこれで良いのか?」と思ったが、自分にとってはこれが最も自然な流れらしく、どんなに考えても他の組み立て方が浮かばなかった。

<詩について>

例えば、誕生日を祝うにあたって用意したケーキにロウソクを立てて火を灯したら、次に何をする?そう、照明を落とすと思う。それと同じ要領で、「金平糖」というワードを引き立たせるために、「憂鬱」であったり「死」であったり、ダークなワードを並べてある…と言いたいところだけど、この曲の場合は逆で、照明を落とした真っ暗な部屋の中に火のついたロウソクを立てたケーキを持ってきた、というのが正解。いずれにせよ、これは一縷の望みの為に諦めたふりをしている人間の姿を歌った曲であって、ただひたすらに絶望的な曲ではないのだ。

<映像について>

個人的には、この映像はサイレントで観るのが好きだったりする。

1971年撮影。奇跡的に発掘された「映像は一切残っていない」とされてきた伝説的アーティストのフィルム…という設定で観ると、そうやって観れなくもないから面白い。


『悪魔と呼んで』解説

というわけで、今回公開した2曲について恒例の解説を。まずは『悪魔と呼んで』から。この曲については既に何度か書いたが、あれは一部歌詩を書き換える以前のものだったし、ライブで披露する以前のものだったから、そういったことを踏まえて、<曲><詩><映像>の3要素に分けて、もう一度書いてみようと思う。


<曲について>

この曲の面白いところは、サビらしいサビがないことである…と言いたいところなのだが、実はちゃんとサビはあって、それはハープを吹いている部分なのである。曲が初心者の吹くハープに主役の座を譲ってしまっていることの潔さがこの曲の面白いところなのである。先日、うちの奥さんが鼻歌でこの曲を歌っていて、よく聴くとハープのラインだったので笑ってしまった。

<詩について>

以前にも書いたように、これは芸術家について書いた詩である。が、ライブで歌ってみて感じたのは、俺の中にある「俺はヒール(悪役)だ」という気持ちの炸裂だった。一般のお客さんだけを前にして歌う場合には芸術家として歌うんだろうけど、お客さんの中に同業者が多く紛れ込んでいる場合はヒールとしての気持ちが炸裂する。一緒にするな。拒絶してくれ。嫌ってくれ。見境なく、そんな気持ちでいっぱいになる。煮え繰り返るような疑問や憤りをいちいち言葉に置き換えて歌ったら、35分の持ち時間なんて到底足りない。何か別の方法で一気にドバッ!と吐き出せないものか…考えて、ハープに手を伸ばした。つまり、曲だけではなく詩も、ハープに主役の座を譲ってしまっているのである。

<映像について>

基本的にライブ映像というのは、カメラを固定すべきではないと思っている。撮影する人の気持ちが手からカメラに伝わって画像が暴れたら、それが最高の形。この映像は、そこに原因不明のレトロ感が絡んで、素晴らしい出来だと思う。

この映像を観た人の中に、終盤(3:09)の俺の右手の動きを真似てくれる人が現れた。なんか、凄く嬉しい。ロックスターのちょっとした仕草。真似したことは腐るほどあっても、真似されたことは一度もなかったからな。


fragile

先日のライブからもう一曲、『金平糖』の映像を公開。当ブログのベテラン読者ならよく知っている「暗黒の大阪時代」に書いた曲である。

死ぬことしか考えてなかった…というか、正直、そんなことを考える気力すらなく、毎日、何の目的もなく天神橋筋商店街を彷徨い歩いていた。

ソングライターじゃなかったら死んでたかもしれない。頭の片隅に「俺はソングライターだ」という思い(金平糖)がかろうじて残っていたから、死ぬほど辛くても、それをどこかで「美味しい」と思える自分がいて、なんとか踏ん張れた。

映像はこれで11本目。俺の中に「配信する映像作品の数はチャンネル登録者数を超えてはならない」という規定がある。今、登録者数が「11」だから上限に達したことになる。

『悪魔と呼んで』はFacebook上でも紹介したけど、これは紹介しない。あの平和ボケした人たちにこの曲が理解できるとは思えないし、理解できない人たちの前に置いた金平糖は、傷付けられたり壊されたりするような気がする。

この曲は、あの時、絶望的な日々の中で拾った唯一の宝物であり、壊れ物でもあるから、大切に扱いたい。


☆新映像公開☆

先日のライブから『悪魔と呼んで』の映像を公開した。

撮ってくれた人が撮ったことを忘れており、下手すりゃ誰の目にも触れることがなかった…という意味に於いて貴重な映像である。

映像には一切手を加えていない。色々とやってみたが、そのまんまが一番良いと判断した。

初披露のブルースハープ。ギターにしたって同じことが言えるけど、俺より下手な奴を見つけることの方が難しい。でも、不思議なことに俺は自分の出す音が一番好きだ。

観に来てくれた人も、観に来れなかった人も、酒飲みながら爆音で楽しんでくれ!


一夜明けて

一言一言、言葉を噛み締めて、全力でギターを掻き鳴らして、限界まで声を振り絞って歌った。「ミスる/ミスらない」なんてどうでも良かった。昨日の俺は、自覚していたわけじゃないけど、これまでと目指しているものが違ったように思う。結果として、お客さんや他演者さんから返ってきたものが自己評価を大きく上回った。
ライブ後、物販席にはほとんど何も残らなかった。アルバム『DABADA TV SHOW』は完売。所狭しと並べておいた缶バッジが4個と『eclipse』が1枚残っただけ。CDにサインを求めてきてくれた人もいた。それも一人や二人じゃなくて、初対面の人もいて…本当に嬉しかった。

何か掴んだような気がする。

ほとんど何も覚えてないけど…。


後は野となれ山となれ

あと3日。

最終リハが終わった。あとはもう感情の問題。ステージに立つまでこれといって考えることはない。ビートルズ聴きながら焼酎飲んで、我が「嵐の前の静けさ」を過ごす。

有終の美。これまでやってきた表現と、地元伊丹でのライブに一区切りつけようと思っている。

全力を尽くす。


児嶋気分

あと6日

お店や演者さんが次々に告知を打ち始めたんだけど、皆、ことごとく俺の名前を間違えている。

DABADAさんが「和田玲士」。それを見たトマケさんがまた「和田玲士」。バニーさんに至っては「和田令士」。でも俺は和田怜士。

別に良いんだけど、なんか、児嶋さんになったような気分だ(笑)


5つの椅子をめぐって

あと7日。

SOLDOUTを目指して諦めずに待つ。「目指して待つ」などと、随分と妙な言葉だと思うかもしれないが、待つ心は待たせる心に負けず劣らず能動的なのだ。「果報は寝て待て」などと言うが、「待つ」というのは祈ることでもあるから、メンタル的なことを言えば、寝るに寝れんのだ。

他の演者をアテにせず、自分だけでなんとかしたい。


歌詩更新2

音楽が神様ならロックは悪魔か?ってなことを考えていたら降ってきたフレーズ。苦笑のオブラートに包みつつ、我がビッグマウスここに極まれりといった感じ。


『MUSIC IS DEAD』

音楽は死んだ
誰が殺した?
誰も気付いちゃいないし
知ったこっちゃない

音楽が死んで困るのは
お前であって俺ではない

自分の言葉で歌う者にとって
お前はアウト・オブ・眼中
目の上のコブで鬱陶しい

誰かの為に歌う
お前の為じゃない
ここで言う「お前」がお前という保証さえない
笑える

音楽は死んだ
誰が殺した?
誰も気付いちゃいないし
知ったこっちゃない

歌えるから
踊れるから
音楽などなくたって

神様ともあろう者が
悪魔に手を出した
母親の血が騒ぐ夜
俺はロックンロール・スター

感じたことを感じたまま
派手にやろう
ためらうな

MUSIC IS DEAD
お前のせい
お前らのせい