なるほど・ザ・絵画

今日は今日で兵庫県立美術館で「怖い絵展」を観てきた。

<レディ・ジェーン・グレイの処刑>(写真下はその一部をパネル化したものと私)と、<踊り手の褒美>と、ムンクが描いた<マドンナ>が特に良かった。中でも、やはり、レディ・ジェーンがヤバかった。

運命に翻弄されて、何がなんだかよくわからないまま反逆の罪を着せられて処刑されることになった16才の女の子の姿には取り乱す余裕が感じられず、死ぬことの怖さではなく「?」だけがあって、それが、何とも言えず儚くて綺麗だった(今回、目玉となったこの絵に添えられたワンフレーズ「どうして。」は秀逸だと思う)。

帰宅後、ストーンズの「レディ・ジェーン」を聴いたのは言うまでもない。


なるほど・ザ・演劇

恵美須町で、『三等フランソワーズ』という劇団の舞台を観てきた。「劇団」とはいえ、昨夜の公演の構成員は2人。持ち時間は我々音楽をやってる者と同じ30分。ステージの上にはテーブルと2脚の椅子があるのみ。

結論から言うと、めちゃくちゃ感動した。30分の間、緊迫感が途切れることがなかった。今、私が自分のライヴで表現しようと思っている形にリンクするものがあり、もの凄く良い刺激になった。

終演後、劇場の近くの酒屋で買った缶ビールを飲む私の口からは、ただひたすらに「なるほど」という言葉が漏れた(私には、良いものを観たり聴いたりすると「なるほど」と呟く癖がある)。

緊迫感…ライヴハウスでは滅多にお目にかかれないものが、劇場の舞台の上にあった。


21年目の開花

19の時、私は神戸のとあるバンドに加入して、2曲、英語詞の曲を書いた。

2曲のうち1曲は良い出来だったのだが、当時はまだ曲の作り方をよくわかっていなかったので、シンプル過ぎて、どこか物足りなくて、気に入らなくなって、日本語詞で曲を書くようになるとすぐにボツにした。

7年後。26の時。ふと件の曲を思い出して、色々とアレンジを施して復活させた。が、今度は手を加え過ぎたことによって曲が散漫になり、パンチがなくなって、駄目になった。ライヴで何度か演ったが、すぐに飽きてボツにした。

それから14年後。曲の原型が生まれた時から数えると21年後となる先日。スタジオで突然、件の曲を思い出した。そして、頭で考えたわけではなく、一瞬の閃きに従って、以下のことをした。まず、無駄を完全に削って一度原型に戻した。それから、一部新しいメロディーを付け加えて、冒頭のギターリフを曲の終わりに持ってきた…そしたら、ただそれだけのことで、ものの見事に化けた。21年の歳月を経て、ようやくあるべき姿になったのである。それもほんの一瞬で。

一瞬の閃きの為に21年かかった。でも、ずっとボツにし切れなかっただけのことはある。恐ろしく良い曲だ。あとは言葉を乗せるのみ。

その娘は、子供の頃からなかなかの別嬪さんだったが、あまりにオシャレ気がなかったので、誰も別嬪さんであることに気が付かなかったし、自分でも自分が別嬪さんであるということを自覚していなかった。7年後、それなりに着飾ることに目覚め、化粧することを覚えたが、下手クソで、残念な仕上がりになってしまった。14年後、大人になった彼女は、自分に何が似合い何が似合わないのかをよくわかっていた。そして、めっきり自信をつけ、誰の目にも明らかな美人になっていた…というところかな。


冷たい香水の正体

昨日、ロックスターがジャック・ダニエルを愛飲するように、海賊はラム酒を愛飲するものだということを知って、初めて、ラム酒を飲んでみた。

甘い、なんとも言えない良い匂いがする。味も素晴らしい。匂いがそのまま味だ。なるほど、海賊はこれを愛したのか。ジャック・スパロウはこれをラッパ飲みしてたのか。これはヤバい。ヤバいぞ!と、テンションがピークに達すると同時に、強烈な眠気の波に飲まれて撃沈してしまった。

一夜明けて、ふと気付いたことがある。私の新曲の歌詞に出てくるワードについてである。

宝石、香水、蝋燭、五線譜、サイコロ、悪夢…海賊をイメージさせるワードが並んでいる。無意識とはいえ、歌詞を書いている私の中に、おぼろげながら、海賊の姿があったらしい。

「冷たい香水」って、ひょっとしたらラム酒のことなのかもしれないな。いや、きっとそうだ。そういうことにしよう!と、思った。


僕はPUNK

経験を積んで、理論や理屈を知って腕を上げていく中で、確実に忘れていってしまうものがあり、一度上げてしまった腕はもう二度と下ろすことができない。

例えば、パンク。近頃のパンクは知恵を付け過ぎて、腕を上げ過ぎて、金をかけ過ぎて、メタルと見分け、聴き分けがつかなくなってしまった。パンクは、パンクをやってる人間が、パンクとは何かということをわかっていない時が一番パンクだった。

私は、ザ・クラッシュのアルバムだと、『白い暴動』が一番好きだし、オアシスのアルバムだと、完全に勢いだけで作り上げてしまった、「歴史的失敗作」として名高い『ビィ・ヒア・ナウ』が一番好きだし、ジョン・レノンという人については、丸眼鏡をかける前の、「LOVE & PEACE」とか言い出す前の、ザ・ビートルズのメンバーでいることを心から楽しんでいる頃のヤンチャなジョン・レノンが好きだ。

器用になったら終わりだ。死ぬまで下手クソでいたい。パンクが一番パンクらしかった頃のパンクスが持っていたような、チープながら純度の高い反骨精神を引きずりながら、歳を重ねていきたい。

「継続は力なり」ってなことを言うけれども、私は、いつまで経っても力にならない継続のあり方みたいなものを日々、模索しております。


常時募集中

私はもう、よほどの出会いがない限り、バンドをやるつもりはございませんが、サポートメンバーは常時募集中でございます。

パート不問。ドラムやベースに限らず、鍵盤やギターやヴォーカルも募集しております。メンバーを固定するつもりもないので、その都度、それぞれの都合に合わせて、その都度の編成でやればいい。

はっきり言って、別に経験者じゃなくてもいい…っていうか、40歳とか50歳とか、年齢なんてどーでもいいから、今から音楽始めてみてはいかがでしょうか?音楽やるのに早いも遅いもない。少しでも自分のセンスに期待が持てるのなら、「思い立ったが吉日」でしょう。

「やれる」と思えばやれる。「やれない」と思えばやれない。ただそれだけのこと。

私としても、そりゃ、経験豊富で腕の立つ人と一緒にやるのは勉強になるし、助かるけど、経験の無さをヤル気でカバーしながら腕を上げていく、色の付いていない真っ白な人と音を出してみたいという気持ち、「なきにしもあらず」どころか、バリバリにありますよ。

真っ白な人の真っ白な感性を借りて、経験豊富な人たちが立ちはだかるライヴハウスに殴り込みをかけてみたい。

私は、あなたが名乗り出てくれるのを待っておりますよ。

私が重視するのは、ヤル気と、普段どんな音楽を聴いているのかということの2点だけです。

是非。


くたばりやがれ

今年も伊丹で、コネのない地元のアーティストに一切門戸を開こうとしないフェスが開催される。

毎年、知らぬ間にメンツが決まって、知らぬ間に開催されて、知らぬ間に終わってる。

スチャダラ呼べて良かったね!

こんなクソみたいなイベントをやってる暇があったら、一つでいいから、伊丹にライヴハウスを建ててくれ。

スタジオもライヴハウスもない街で何がフェスだ。

馬鹿か。


任務完了

もう一度言うが、こう見えて、仕事中である。昨日職場で、年に一度の大きなイベントがあって、私は司会の大役を任されて、それで、こんな格好をしているのである。

盛り上がったし、良かったのではなかろうか。

音楽をやっている時、ライヴハウスやなんかで、「一緒に写真撮ってもらえますか?」なんてただの一度も言われたことがないのに、昨日はお年寄りを中心に10回以上言われた。

あるおばあさんが私に「あなたは何賊ですか?」と言った。「賊」まで出てきているのになぜ「海」が出てこないんだろうと思った。小さな女の子が目を丸くして、喉の奥の方で「うわっ!海賊や!」と言っているのが聞こえた。日頃から顔見知りのおばあさんが、「大人しい人だとばかり思ってたけど、あなたって本当はそういう人なんですね」と言って笑った。どういう人なんだと思った。

面白かった。

ヴィジュアル系の人たちの気持ちが、ちょっとだけ、わかった。


雫を求めて

ライヴ中に見るわけじゃないけど、私にも、自分の曲の歌詞を書いたノートがあって、歌詞を一部変更したり、新曲ができたりするたびに、書き直したり書き足したりしている。

先日、新曲の歌詞を書いておこうと思って、ノートを開いて気付いたのは、現時点で、自分のオリジナル曲が45曲あるということだった。本格的に曲を書き始めたのが22歳の時だったから、私のソングライターとしてのキャリアは今年で18年ということになるんだけど、18年で45曲というのは、普通に考えれば、少ないのかもしれない。少な過ぎるのかもしれない。が、これには理由がある。

まず、私はそもそも寡作家であって多作家ではない。自分の中にコップが1個あって、そこに時間をかけてゆっくり水が注がれていって、表面張力を破って滴り落ちてきた雫の部分が曲になる。だから、どうしても時間がかかる。

良い曲に限って一瞬でできる。でも、その一瞬は、そこに至るまでの膨大な時間があってのこと。

もう一つの理由は、私に、気に入らない曲をすぐボツにする癖があるということ。少しでも気に入らないとすぐボツにする。気に入らない曲は、ただただ恥ずかしいし、要らないものは要らないからボツにする。断捨離。

以上、二つの理由から、「18年で45曲」なのである。そして、以上、二つの理由から、気付いたことがある。Facebookの「友達」の数についてである。

私は、Facebookを始めて1年半近くになるが、「友達」が31人しかいない。ライヴ等で知り合う人の数を思えば、明らかに少ない。何故か。実はこれにも理由があって、二つの理由があって、二つの理由の内容は、「18年で45曲」と全く同じでなのである。

曲の数についても、「友達」の数についても、私の中に「量より質」という考え方があるわけではない。かといって、「質より量」という考え方があるわけでもない。あるのは「質も量も」という考え方のみ。だから、「45」という数字も、「31」という数字も、なかなかナイスな数字で、悪くないと思っている。

最後に、私が書いた『道化師の息子』という曲の中に、「数を誇るのは子供でもできる。大きさにものを言わせて踊れ」という歌詞が出てくるのだが、これは、「数」に対して「量」ではなく「大きさ」を持ってきているところがミソなんだと思っている。