褒められて伸びる人と褒めて伸ばす人へ

「豚もおだてりゃ木に登る」という諺を考えてみた。

まず言えるのは、この豚は褒められて伸びるタイプの鑑だということ。「おだてりゃ」とあるから、口から出まかせの嘘である可能性が高いのに、それを爆発的なポジティブシンキングでもって褒められたと捉えて、ただそれだけのことで不可能を可能にしてしまうんだから、大したものだと思う。まさに克己。それから、豚をおだてて木に登らせた人の話術も相当なものだと思う。道具や機材といったものを一切使わず、言葉の力だけを頼りに豚を木の上に移動させるという離れ業。並みの人間ではない。

この諺の根幹にあるのは皮肉であり、皮肉の矛先は豚と豚をおだてた人に向いている。だからこその「豚」「おだてりゃ」という言葉のチョイスである。思うに、この諺を考えた人は褒められて伸びるタイプの人ではなく怒られて伸びる古いタイプの人で、「怒られて伸びる。これが人としてあるべき姿だ」と信じて疑わないのに、褒められて伸びる人と褒めて伸ばす人が不可能を可能にしていく、きちんと結果を出していく様を見て嫉妬心が芽生え、その嫉妬心から生まれたのがこの諺だと推測する。

木に登った時点で、その豚が本当は豚ではなかったことは明白である。また、本当は豚ではなかったとはいえ、豚だと思い込んでいる者を木に登らせて、己が豚ではないということに気付かせるほどの力を持つ言葉がただの嘘であろうはずがない。というのが、俺が辿り着いた真相である。

こんな、まともに諺辞典にも載せてもらえないクソみたいなたとえに騙されちゃあいけない。あなたも俺も豚ではないし、これは、嘘ではない。


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