怜士流作曲法教えます

たまに、ギターの弾き方を教えてくれと言われる。で、俺はその人が「教えてくれ」の「れ」を言い終える前に「無理」と答える。自分で何を弾いてるのかすらよくわかってないのに、人に教えられるわけがない。

最近は、曲の作り方を教えてくれなんて言われることもある。これに関しては、毎度同じ内容ではあるが、しっかり答えるようにしている。「鼻歌に言葉乗せるだけ」と。せっかく答えてやってるのに皆、怪訝な顔をして「真面目に答えろやボケ。殺すぞ」みたいなことを言う。真面目に答えている。他のソングライターがどうなのかは知らない。もっと高度な作曲法を駆使しているのかもしれないが、俺は本当に鼻歌に言葉を乗せているだけなのである。

俺のやり方を「殺すぞ」とか言わずに素直に踏襲すれば、誰だって曲が作れる。ある程度日本語が喋れて鼻歌が歌えりゃいいんだから、これほど簡単なことはない。車の運転や料理の方がずっとずっと難しい。ただ、一つだけ言わせてもらえるとすれば、俺はベテランなのである。めちゃくちゃ簡単なこととはいえ、俺はベテランで、「継続は力なり」と昔から言うように、長年やってるうちに身に付けたテクニック的なものがあるっちゃあるのである。当記事ではそのテクニック的なものを紹介し、曲を作ってみたい、それも、きちんとクオリティの伴ったものを!と考えている皆さんに伝授しようと思う。あくまで「鼻歌に言葉乗せるだけ」が基本。ベースにあることを踏まえて、お読み頂きたい。

①あえて一ヶ所だけ韻を踏まない。

邦楽をほとんど聴かず、洋楽ばかり聴いてきた俺にとって韻を踏むというのは当たり前のことであるから、昔は言葉の意味を無視してでも韻を踏もうとしていたのだが、いつからか一ヶ所だけは踏まなくても良い、むしろ一ヶ所だけ踏まない方が面白く仕上がると考えるようになったのは何故かと言うと「違和感」である。違和感の中に引っかかりが生まれて、聴いている人に「ん?」と思わせることができる。これを利用して、ここに本当に言いたいことや、特別訴えかけたい言葉を持ってくる。で、俺はここに持ってきた言葉を曲のタイトルにすることが多い。曲全体がキュッと引き締まるからである。

②声の張り方に合わせて言葉を選ぶ。

要するに母音の問題。声を張る箇所には「あ」「え」を持ってきて、声を絞る箇所には「う」「お」を持ってくる。というのはまあ当たり前と言えば当たり前なのかも知れないが、俺が特に工夫しているのは「い」の使い方である。「い」は音的に鋭い。ヒステリックな切り込み隊長である。なので、切実だったり、痛切だったりする思いは「い」を軸にして言葉を組み立てるようにしている。

③発音を崩さずとも英語に聞こえる日本語を選ぶ。

これこそまさに、俺というソングライターの特徴である。日本語本来の発音を崩すことなく英語っぽく響かせる。つまり、そもそも英語的な響きを持った日本語を選んで使うのである。なぜ英語的な響きにこだわるのかと言えば、メロディーにしなやかさを持たせたいからで、メロディーにしなやかさを持たせるためには、一つの音に一つの音(言葉)ではなく、一つの音に幾つかの音(言葉)を乗せる必要があるが、この点に於いて、日本語は根本的に分が悪い。しかしながら、日本語は英語に比べて言葉の幅が圧倒的に広いので、日頃の言葉を覚える努力さえ怠らなければ意外に何とでもなるのである。また、曲に多くの言葉を盛り込むというのは、人間の身体で例えれば、「関節を増やす」ということである。腕の肩と手首の間に肘以外の関節が2、3個あれば随分と動きがしなやかになるに違いないが、メロディーも音(言葉)を多く盛り込むことでよりしなやかになるのである。

以上3つのテクニックを用いれば、「鼻歌に言葉乗せるだけ」がただの「鼻歌に言葉乗せるだけ」ではなくなる。あとは総仕上げに、無駄な部分を削って、曲を出来る限り短くするという作業を残すのみである。「5分を超える場合は5分を超える理由が要る」と覚えておいて頂きたい。8分の曲を5分に縮めたというのなら良い。それは、5分より短く聞こえるはずである。が、3分に纏められる曲に尾ひれが付いて5分になっているのなら、5分より長く聞こえるはずである。良い曲は実際より短く聞こえ、駄目な曲は実際より長く聞こえる。これは鉄則であるし、短くするという作業はいわば「研磨」なので、曲を良くすることはあっても悪くすることはない。

さあ、教えることはもう何もない。大丈夫。簡単だ。楽器?いらん。作れる。完成したら是非聴かせて欲しい。そして、俺を師匠と呼んでくれ。


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