歩くキウイ

親父が言っていた。

「(食べ物の)好き嫌いはアカン。貧乏人なんやから何でも喜んで食わなアカン。でも一つだけ、「これだけは絶対に食わん」っていうのがあるのは悪いことやとは思わん」

親父が「絶対に食わん」と決めていたのは、「態度デカいクセに中身がない」というわけのわからない理由から茄子だった。で、俺はというと、親父には申し訳ないが二つあって、パイナップルとキウイなのだが、それはアカン、どちらか一つにしろと言われればキウイなのである。キウイだけは絶対に食わん。っていうか食えん。

人間、対人関係についても好き嫌いというものがある。なので、食べ物同様、「俺はこういう奴とは関わらん」というのが一つだけあっても良いと思う。俺の場合、それは「謝れない人」だ。「謝れない」はくだらないプライドがゆえの「謝らない」だ。自分の為に、相手の為に必要とあらば、嘘でもいいから謝るのが、謝れるのが大人だろう。「相手の為に」はさて置いても、自分の為にすら嘘をつけないというのは頭が悪いとしか言い様がない。そんなことくらい、精神年齢が小4で止まっている俺にだってわかる。

謝れない人が歩いている。俺にはキウイが歩いているように見える。


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