音楽をやってるつもりが音を鳴らしているだけで終わっている人が多いように、カバーをやってるつもりがただのコピー崩れで終わってしまっている人が多い。
他人が作った曲を演る場合に、自分のものにしようという創意工夫が感じられないというのはコピーだ。といって、俺は別にコピーを馬鹿にするつもりはない。コピーってものすごく技術の要ること。俺が疑問に思うのは、コピーするだけの技術がなくて、コピー崩れに終わっているものを、「本物に比べて圧倒的に劣っている」と捉えずに、「別物」と捉えてカバーを名乗っている人が多過ぎるという事だ。ただ下手なだけ。下手過ぎて本物とは似ても似つかないという事を逆手にとってカバーを名乗っている人が多過ぎる。
コピーは職人が得意とすること。カバーは芸術家が得意とすること。職人志望なら職人志望だとハッキリ言えばいいのに、それはそれでカッコ良いのに、それをしてしまうと常に自分の下手さ加減と向き合わねばならないし、それを周りに晒すことにもなるからできない。でも、職人は「自分は下手だ」と言えるかどうかというところから始まるのではないか?言えれば伸びるし、言えなければ伸びない。職人として伸びることを諦めた途端に都合よく芸術家を気取って「カバー」を口にするのは、職人に対しても芸術家に対しても失礼な事だと思う。
カバーが聞いて呆れる。
ただのコピー崩れじゃないか。