雪と花火と芽

ライヴという表現に、一瞬燃えて煌めいても、すぐに消えてなくなってしまう寂しさというか、虚しさのようなものをどうしても感じてしまう。アマチュア・ミュージシャンが連日ステージに立ち続けるのは、絶えずやり続けていないと自分のやっていることが一瞬にして消えてなくなってしまうという恐れがあるからじゃないか?と思う。

雪が降ってきて、手の平の上に落ちて、スッと消えていく感じは嫌いじゃないし、花火が上がって、夜空に大輪の花を咲かせて、スッと消えてなくなる感じも決して嫌いじゃない。日本人だから日本人らしく「儚さ」って綺麗だと感じる。でも、自分が音楽をやることについてとなると、それじゃ困る。すぐに消えてなくなってしまうようでは困る。いつでも、そこに行けばそれがあるというような、時間の経過に耐え得る、ある意味、形あるものであって欲しいと願う。

これまで、ライヴ会場を固定してきたのも、ライヴに並行して音源や映像を作ってきたのも、そういう想いがあってのこと。音楽特有の、一瞬にして消えてなくなってしまうという性質に抗ってのことで、やり方としては間違いではないはずだし、これからも継続していこうとは思っているのだが、最近、それだけでは弱いような気がしてきた。他にも出来る事があるような気がしてきた。

で、ここのところ何故か、自分のバンドを持ちたいと考えるようになった。サポートという形で、自分の脇を固めてくれるメンバーを探してみよう、募ってみようという気になった。ソロとバンドの間を行ったり来たりしてみたい。それが何故、自分のやっていることが儚く消えてなくなってしまうことに抗うことに繋がるのかは、正直、自分でもわからないのだが、俺の場合はこの「根拠がない」とか「理由がない」とかいうことに基づいた決断こそがものを言う。だから、とりあえずやってみよう。

新しいことを始めようと思い立ってはみたものの上手くいかなった場合に、「上手くいかなった」と判断するのが早過ぎることがよくある。でも、蒔いてすぐに芽を出す種なんてないし、自分がまだかまだかと待ち侘びながら眺めている所とは別の所から、自分が想い描いているものとは似ても似つかないものが芽を出すこともある。


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