これは「映像裏話」ではなく「楽曲裏話」だ。
27歳の時だったと思う。『モナリザ』という曲を書いた。歌い出しの詩はこう。
「モナリザを気取るしか能がない僕の女神/この上なく美しくて無慈悲」
女神とは音楽のことで、当時俺の中にあった「救ってくれないじゃないか」という憤りが噴出していた。と同時に、音楽がないと生きていけないといった意味合いの言葉や、救われたいがために救おうとする姿も散見されて、まさに「愛憎」なのだが、曲の後半には愛憎混ざり合った「血も涙もない君の力を信じている」というフレーズがあって、最終的には、音楽が俺を救えないのは、音楽が本来持っていた力を思い出せなくなってしまっているから…という内容だった。
『モナリザ』の詩の中には、『WHY?』の詩と共通する箇所がいくつかある。その最たるものが、「弄ばれることに慣れた君の前で偽りの無い愛が空回りする」であり、「手助けを受け入れず」というフレーズも『WHY?』に直結している。意識したわけじゃないから、気付いた時は驚いた。
あの時も、音楽が駄目になっていくのを痛切に感じていた。でも、まだ女神だった。本来持っていた魔法のような力を思い出せずにいるけど、思い出しさえすれば…という一縷の望みがあった。その望みが『WHY?』にはなく、かつての女神は生身の女性と化してしまった。彼女への想いは変わらないし、だからこそ救いたい気持ちでいっぱいだけど、今はもう、それが自分を救うことに繋がるとは思えず、「側にいてくれ」と歌うのが精一杯だった。