ビートれいしの時事タックル

2016年→3回。2017年→9回。2018年→4回。2019年→3回。2020年→?

ライブ。おそらく今年は一回やるかやらないかだと思う。基本的には、自分とお客さんの間にビニールシートがあるような状態ではやりたくないと思っている。いや、「やりたくない」ではなく、やりたいけど気分が乗り切らないというのが正直なところ。気分が「乗らない」わけじゃなくて、乗り「切らない」。理由は、この事態をどう解釈して良いのかがわからないから。噛んでも噛み切れず飲み込めない。ホルモン。

今日も報道番組で「新しいライブの形」と銘打って、演者の前にビニールシートがあって、お客さんが皆マスクを着用していて…という映像が流れていた。「これで本当に良いのか?」といった意味合いではなく、「ライブ文化は絶えず続いていく」という前向きなメッセージを感じさせるニュースだったのだが、残念ながら腑に落ちなかった。「コロナに負けるな」的な、コロナを闘いの対象にしたフレーズはあんまり好きじゃないんだけど、一進一退の状態を早々に見限って、白旗を掲げてしまうような感じはもっと好きじゃない。結果はどうあれ、もうちょい抗うべきなんじゃないか?「新しい」を口にするのは時期尚早なんじゃないか?と思う。

新しい生活様式。「共存」という言葉を使おうにも、コロナに明け渡してしまうものの大き過ぎる生活様式ってどうなんだろうと思う。それは本当に「生活」と呼べるものなんだろうか。「新しいライブの形」しかり、「新しい生活様式」しかり、「新しい」という言葉がどうも信用できない。闘う意識が強いと逃げるという行為が罪悪になってしまう。逃げようとしていることを覆い隠す為の言葉として「新しい」を持ってきているような気がしてならない。

ノエルが「ニューノーマルなんて要らない。ノーマルに戻るのを祈るばかりだよ」って言ってたけど、その通りだと思う。「新しい」は要らない。ただ、元に戻って欲しい。元に戻ろうとする過程としてビニールシートをぶら下げると言うのなら納得できるし、全然構わないんだけど、全く別の方向を向いてビニールシートをぶら下げるというのは違うような気がする。

焦る気持ちがわからないわけじゃない。わかるけど、焦って「新しい」なる白旗を掲げてしまうことが問題を改善させることだったり、突破口的なものの発見だったりを遅らせることに繋がるのではないか?という不安がこれまた噛んでも噛み切れず飲み込めない。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。