酒に吹かれて

ここのところ、色々と物思いに耽っている。特に、酒については深く考えてみるタイミングだろうと思い、ある本を手に取ってみたところ、中に「自己認識を改める」という項目があり、この項目を目にした瞬間から堰を切ったように「そういえば」と気付きが溢れて…以下に、箇条書き的にいくつか書いておこうと思う。

*まず気付いたのは、俺は本来、俺自身が思っているほど明るい人間ではないということ。なのに、常に明るい人間でいなければという思いが強く、また、周りの人たちも俺を明るい人間だと思っているに違いないから、それに応えねばと思って生きている。自分自身からの、周りからの、幻聴とも言える期待に「勝手に」応えようして、絶えず酒の力を借りてきた。これを俺は「ドーピング」と呼ぶことにした。

*一人で飲む時。つまり、周りに知人が誰もおらず、自分自身の期待に応える必要もない状況で酒を飲む時の俺は救い難く暗い。大人の真似事をして、一人で店に飲みに行ったことも一度や二度ではないが、そもそも、店の人や他の客と親しくなりたいなんて気持ちは微塵もないから、ただカウンターの片隅に太宰治みたいな頬杖のつき方をして黙って飲んでいるだけで、一つも楽しくない。食べているものの味にすら興味が湧かず、ただただ切ないだけだった。

*俺の中にも怒りはあるらしい。「らしい」と書いたのは、日頃、自覚症状と言えるものがほとんどないからで、たまに、自分が作った曲やイラストの中にそういったものを感じて、自覚して、自分はきちんと吐き出せている、発散できていると思って安堵するのだが、制作という、ある種枠ありきの手段では吐き出しきれない怒りが相当量自分の中に溜まっていることを酒を飲むことによって思い知ることがある。眠らせておけば良いものを呼び覚ましてしまう感覚…とでも言えば良いのか。自分でもわからない。ごくごく稀にではあるが、酔っ払って、爆発的に攻撃的になり、相手構わず毒付いて、事実上の出禁。恥ずかしくて二度と顔を出せなくなった店もある。

*アテがないと飲めないという人がいるが、俺はただひたすらに飲み続けるばかりでアテはいらない。コーヒーや紅茶を飲む時に、甘いものが必要不可欠だという人もいるが、俺は、酒を飲む時、酒さえあれば良い…というのは事実なのだが、それはアテを食べ物に限った場合の話であって、俺にも酒を飲む時に必要不可欠なアテがある。それは、音楽。基本的に、音楽を聴きながらでないと飲めないし、飲みながらでないと音楽を聴く気になれない。厳密に言えば、後者の傾向が酷い。つまり、酒を一滴も飲まないということは、音楽を一切聴かないということ。事実、そうして、一日を終えてしまったことが何度かある。紛いなりにも音楽をやる人間として、どうなんだろうと思う。

*たまに人に身長を訊かれることがある。サバを読む必要なんてどこにも無いから、素直に「172㎝です」と答えるのだが、何故か昔からこう付け加える癖がある。「自分の中では160㎝くらいなんですが」必ずと言って良いほど付け加える。これは一体何なのか。おそらく、これこそ「自己認識」で、そのズレの表れなんだと思う。所謂「自己評価が低い」というやつで、わかりやすく言えば、本当は自分には172のことができて、それは人並みと言えるのかもしれないのに、自分の中には172のことができるということ以上に「12のことが出来ない」という頭があって、この12を忘れたいがために、実際の数字に戻したいがために酒を飲んでしまう。結果、酔っ払っている間は、少し水増しして175㎝くらいの自分を感じるのだが、翌日、頭痛で目を覚ました自分が感じるのは155㎝くらいまで縮んでしまっている自分だったりして、深く幻滅する。だから言ったろう。ドーピングだって。

*こう見えて、昔は自慢できるほど友達が多くいた。でも、気付けば、一人去り二人去り…いまや片手で数えられるくらいにまで減ってしまった。思えば、ここにも酒が絡んでいるように思う。男同士の場合、女同士のようにカフェでお茶をして、ランチを食べて、その間、話題に事欠くことなく、それからまたウィンドーショッピングに繰り出して…というわけにはいかない。「飲む」の一点のみが接点で、飲んで喋って酔っ払ったらそれで終わり。次に会うのは数年後だったりする。そんな接し方で相手のことをまともに理解できるわけがなく、長く顔を合わせない間に妙な誤解が生じたりするのは当然の流れ。昔は、酒など飲まずとも、会うだけでドーパミン的なものが分泌されて興奮できて楽しかったのに、いつの間にかそれが出来なくなり、酒の力を借りなければまともに喋れなくなった、笑えなくなった、というお互い様。これは幼馴染みと会う場合にも同じだったりして、これって本当は、めちゃくちゃ悲しいことだと思う。

*例外として、ライブでステージに立つ直前だけは、「酒の力を借りる」という言葉に悪い響きを感じずに済む。飲む酒の量を微調整して緊張感をベストな状態に持っていく…というのは、自分の中に弦が張ってあって、そのチューニングをしているんだと捉えている。チューニングというのは、少し張り過ぎにしておいてから少しずつ緩めてベストなポイントに持っていくというのが正しいやり方なのだが、これと同じことをメンタル的にしているんだと思う。弦を張り過ぎていると音が高くなるように、緊張し過ぎていると声がうわずる。これを緩めて、ベストなポイントに持っていくというのは、それがたとえ酒の力を借りるというやり方であっても、ベストなパフォーマンスのためなら、お客さんに旨い酒を口にしてもらうためなら、決して悪いことではないと思う。


2件のコメント

    1. 精神年齢が小4(10才)で止まってる人間が幼馴染みと酒飲んで18才になったらそれは老化やで(笑)
      でも、そやな。ぼちぼち集まりたいね。

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