加齢論〜似て異なるもの〜

歳を重ねるたびに楽しいことが減っていく。その代わりに嬉しいことが増えていく。

極端な言い方をすれば、「楽しい」は金で買えることで、「嬉しい」は金で買えないことだと思う。それから、こういう言い方もできると思う。「楽しい」に努力はいらないけど、「嬉しい」には努力がいる。

「嬉しい」は日常的な努力に対する収穫だと思う。その証拠に、楽しい時には湧かないけど、嬉しい時には湧く感情があって、それは感謝の気持ち。例えば、より良い人間であろうとすること。これは紛れもなく努力。この努力を認めてくれる人が現れて、認めていることを何らかの形で表現してくれた時に人は嬉しいと思い、「ありがとう」を口にする。

冒頭に「歳を重ねるたびに楽しいことが減っていく」と書いたが、かと言って、「子供の頃は楽しかった」というのは違うと思う。子供の頃は子供の頃で辛いことが腐るほどあった。ただそれを忘れただけのこと。単純に、アホだから大変だった。分からないことだらけで大変だった。それを楽しいことで紛らわした。楽しいと思うことに大人ほど金がかからず、アホなので、友達と駄菓子屋でうまい棒食ってりゃ楽しかった。

大人の「楽しい」は金がかかる。いい歳をして友達と駄菓子屋でうまい棒食ってりゃ楽しいなんて奴はいないし、もしそんな奴がいたらそれは病気だ。そんなこんなで「楽しい」が減っていくが、それは歳を重ねて知恵を付けたからで、知恵を付けたら、努力の何たるかも分かってきて、一つでも多くの「嬉しい」を!となる。

「楽しい」は持続しない。言うなれば「点」で、絶えず打ち続けて、たまに遠くから眺めて線になっているのを確認して安堵する種類のもの。一方、「嬉しい」は持続する。始めから線で、よほど人として下手を打たない限りはずっとほのかに暖かい。この暖かさの正体は、どこからともなく聞こえてくる「あなたは生きてて良いんだよ」という言葉だと思う。

結論。歳をとるのは断じて悪いことではない。


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