新しい映像はもう観てもらえただろうか?
これでチャンネル登録者数「13」に対して映像が13本だから上限に達したことになる。俺の中にそういう規定がある。なので、今度また新しい映像が出来たら登録者数が増えるのを待つか、無理矢理増やすか、今現在配信している映像のどれかと入れ替えるかする。いずれにせよ、映像の制作と配信は今後も積極的に行っていく。
以前にも書いたが、音楽には「既聴感」というのがある。日本の音楽を聴いてきたソングライターは日本の音楽を聴いてきた人たちを相手にするわけだから、「どこかで聴いたことがある」という既聴感に訴えることができるが、日本の音楽を全くと言って良いほど聴いてこなかった俺にはそれが出来ない。昔、英国人ギタリストとバンドをやっていたことがあるのだが、彼は俺の作る曲を、日本語詩であるにも関わらずすんなりと理解して覚えた。これは、彼の中に既聴感があったからだと思う。俺は主に英国の音楽を聴いてきたから、英国人である彼には聴き馴染みがあって、日本人リスナーのように「?」とはならなかったのだろう。
とはいえ、俺は日本国に住まう日本人で、日本語詩の曲を日本人リスナーに向けて歌うわけだから、この「既聴感」という壁に対して何らかの対策を講じねばならない。となると、これはもう、曲を聴いてもらうしかない。繰り返し聴いてもらって、既聴感に代わる感覚を養ってもらうしかない。だから、ネット配信を重要視している。曲だけではとっつきにくいところをカバーしてくれるのが映像なので、出来る限りしっかり作り込むよう心掛けている。
ものを作るというのは何であれ楽しい。映像を作るのも楽しい。が、ただ楽しいから作っているわけではない。既聴感に訴えることができるのであれば「ライブ命!」という姿勢でも構わないが、俺はそういうわけにはいかない。ライブの前にやることがある。ライブを観て「?」の他に何かしら感じてくれた人を一人残らず確実に掬い上げていきたい。
砂の中からダイヤを見つけようと思えば、網の目の細かいザルが必要なのだ。