誰にも取り柄の一つや二つはあるものでございますなあ。
どうやら、私みたいなもんにも、取り柄、あるみたいでございましてね。
信じて疑わない―ということが私にはできるみたいでございますよ。私には、「盲目的に信じる」ということができるみたいでございます。
そういえば今まで、人が割と安易に何かを疑ったり、誰かを疑ったりするので、そのことについて、そのことを思って、悲しくなったことが何度も何度もあったような気がします。
なぜ、信じられないんだろう。なぜ、信じてあげられないんだろう。なぜ、信じ抜けないんだろう―と思って悲しくなったことが今までに、何度も何度もあったような気がします。
もし、疑いの気持ちが、「臆病」から生まれるものだとすれば、私はこの疑う疑わないということに限っては、決して臆病な人間ではないみたいです。
どうです?少しは私のことを見直しましたか?女性諸君!