追憶のジプシー

一年程前までたまに足を運んでいた近所の居酒屋が潰れていた。料理は決して不味くなかったのだが、店を切り盛りするオヤジが無愛想過ぎて、いつも閑古鳥が鳴いていたから仕方ない。

潰れて、取り壊されていく店を見て、「閑古鳥が住み着くと潰れてなくなるのはバンドと同じだな」と思った。客を増やせない、結果の出せない状況が続くと、バンドも居酒屋と同じように潰れてなくなる。

その点、バンドという店構えのない私は大丈夫だなと思う。結果なんて、徐々に出していけばいい。誰も「やめる」なんて言い出さないんだから、変に焦って、妙な方向転換を迫られる心配もない。自分の信じた道を、試行錯誤を重ねつつ、頑なに突き進むのみだ。

ところで、昔、大阪に住んでいた頃、近所の商店街に夜になると出没する占い師のオヤジがいた。「易」と書かれた布を敷いた小さな机の上に、箸のような棒が何本か入った丸い筒を置いて、茶道の人のような格好をして背筋をピンと伸ばして座っているのだが、客が立ち止まっているのを見たことは一度もなかった。

オヤジは、特に切羽詰まっている様子もなく、実に飄々と、客を求めて商店街中を移動し続けた。銀行の入口の真横に座って撤去を命じられると、その翌日にはマクドナルドの入口の真横に座って早々に撤去を命じられていた。「次はどこへ行くんだろう」興味は尽きず、しまいには心ひそかに応援してしまっている自分がいた。

私はあの占い師のオヤジのようなもの。客と評価ときっかけを求めて彷徨い歩くジプシー。やめるやめないの判断を下すのは常に自分。メンバーの脱退という不意の横風に煽られて奈落の底に転落する心配はない。揺るぎない自信と、いつか必ず巻き返してやるという気概さえあれば、やめる理由はない。続けていける。

あのオヤジは今も闘い続けているのだろうか。


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