映像裏話③紙吹雪舞う

19才の時、初めて彼女ができたのだが、僅か1年半で別れた。初めて味わう失恋の痛手は、最初、さほどでもなかったのだが、日を追うごとに耐え難いものになり、結構泣いた。が、それとは別にソングライターの性(さが)というものがあって、痛みをどこかで「おいしい」と思っている自分がいて、21歳の時、彼女と、彼女と過ごした日々とを想いながら二つの曲を書いた。

1曲は「ドライフラワー」といい、もう1曲は「夢の結晶」といった。「ドライフラワー」はその後、本格的にバンド活動を始めるや最も人気のある曲となり、ライブに欠かせない存在となって、現在でも演奏する主要な曲となったが、「夢の結晶」は2017年に歌詞を丸ごと書き換えて「紙吹雪舞う」として生まれ変わるまでの間、俺の中に存在するだけで、ライブはおろかスタジオですら演奏したことはなかった。初めてライブで歌った時、俺は40歳になっていた。

以降、ライブで歌う頻度は「ドライフラワー」を超え、多くの人から評価してもらえるようになった。例えば、海賊ライチのDr.Fは特に好きな曲の一つとしてこの曲を挙げ、バニーマツモロ氏からは「綺麗な物語が路地裏で語られている」というフレーズが素晴らしいと賛辞を受けた。

映像は…これは、「夢の結晶」が「紙吹雪舞う」になるまでの19年間居続けた場所がこんな感じだったんだろうなと思う。俺の中にこんな海底のような場所があって、外から光が差し込んだり、途絶えたり、揺らいだりしてたんだろうなと思う。


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