『悪魔と呼んで』解説

というわけで、今回公開した2曲について恒例の解説を。まずは『悪魔と呼んで』から。この曲については既に何度か書いたが、あれは一部歌詩を書き換える以前のものだったし、ライブで披露する以前のものだったから、そういったことを踏まえて、<曲><詩><映像>の3要素に分けて、もう一度書いてみようと思う。


<曲について>

この曲の面白いところは、サビらしいサビがないことである…と言いたいところなのだが、実はちゃんとサビはあって、それはハープを吹いている部分なのである。曲が初心者の吹くハープに主役の座を譲ってしまっていることの潔さがこの曲の面白いところなのである。先日、うちの奥さんが鼻歌でこの曲を歌っていて、よく聴くとハープのラインだったので笑ってしまった。

<詩について>

以前にも書いたように、これは芸術家について書いた詩である。が、ライブで歌ってみて感じたのは、俺の中にある「俺はヒール(悪役)だ」という気持ちの炸裂だった。一般のお客さんだけを前にして歌う場合には芸術家として歌うんだろうけど、お客さんの中に同業者が多く紛れ込んでいる場合はヒールとしての気持ちが炸裂する。一緒にするな。拒絶してくれ。嫌ってくれ。見境なく、そんな気持ちでいっぱいになる。煮え繰り返るような疑問や憤りをいちいち言葉に置き換えて歌ったら、35分の持ち時間なんて到底足りない。何か別の方法で一気にドバッ!と吐き出せないものか…考えて、ハープに手を伸ばした。つまり、曲だけではなく詩も、ハープに主役の座を譲ってしまっているのである。

<映像について>

基本的にライブ映像というのは、カメラを固定すべきではないと思っている。撮影する人の気持ちが手からカメラに伝わって画像が暴れたら、それが最高の形。この映像は、そこに原因不明のレトロ感が絡んで、素晴らしい出来だと思う。

この映像を観た人の中に、終盤(3:09)の俺の右手の動きを真似てくれる人が現れた。なんか、凄く嬉しい。ロックスターのちょっとした仕草。真似したことは腐るほどあっても、真似されたことは一度もなかったからな。


3件のコメント

  1. この曲の映像にふくたろうさんの独り言音声まではさすがに入ってませんかね…。
    「金平糖」と「悪魔と呼んで」の時に独り言にしては結構なボリュームで感想を言ってはったんですよ。

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