俺は得手公

小学生の頃、学校にネットクライミングという遊具があった。丸太を三角形に組み合わせたものにネットが張ってあって、よじ登って、頂点の丸太を跨いで向こう側へ降りるというものだったのだが、極度の高所恐怖症だった俺は頂点の丸太を跨ぐことが出来ず、一度も向こう側へ降りることが出来なかった。そんな奴は俺だけだったし、人知れず猛烈に情け無く思い、気に病んでいたのであるが、あの頃の俺に声を大にして言ってやりたい。

そんなもん出来んでええねん!出来たからどないやっちゅうねん!何の役に立つねん!体育の時間の度に仮病使たったらええねん!

人には得手不得手がある。もちろん、不得手の中には克服すべきものもあるし、克服できるものもあるが、どうにもこうにも無理!逆立ちしても克服できない!というものだって絶対にある。それについては、得手で補えば良い。誰にだって、人一倍できることの一つや二つはあるだろう。そこで能力を遺憾なく発揮して、認めさせて、「この裏側に不得手があるんだ」と言い切ってしまえばそれまでのこと。何事にも表と裏があるんだから、得手があれば不得手もある。当然のこと。気にすんな。

俺の曲『グラサージュ』の中に「なりふり構わず/犠牲を厭わず/逃げて生き延びてくれ」という一節があるが、これは昔、職場に尊敬していた上司がいて、その人が言った「私は逃げることが悪いことだなんて全然思わない。逃げたらいい。逃げて、生き延びて、誰かの役に立てたら、それが一番」という言葉から来ている。自分で書いた曲であるにも関わらず、たまに口ずさんでは救われるというか…嬉しくなる。

今後も、詩を書く時には、自分自身を鼓舞したり慰撫したりできる言葉を大切にしていきたい。


2件のコメント

  1. 「グラサージュ」を聴いて何度も救われてます。
    こんな曲を作ってくれてありがとうって聴く度に思います。

    1. ありがとうございます。
      そのうち…近々、バラード系の曲だけを演るライブをしたいと思っていて、その時には必ず「グラサージュ」を歌いたいと思っています。
      お客さんにしみじみ、お酒を楽しんでもらえたらと思っています。

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