僅か4年とはいえ、介護士をしていた俺の老人観は人よりちょっと歪んでいる。人として終わっている老人を山ほど見てしまったから、老人だからといって特別な見方をしようという意識がない。あくまで「人としてどうか」を見る。年長者だというだけの理由で敬意を払うつもりはない。冗談じゃない。年上でもアホはアホ。老人でもアホはアホ。その代わり、年下であっても尊敬に値する奴にはちゃんと敬意を払おうと常日頃心掛けている。
伊丹でバスに乗ると、大抵、俺以外全員老人。乗った時点で老人だらけ。そこへまた次々に老人が乗り込んでくる。「お年寄りには席を譲りましょう」わかっている。譲るようにしている。でも、それをやってると座れない。全っ然座れない。俺だってたまにすごく疲れてる時とかあるのに座れない。タダで乗ってる奴が座って、お金払って乗ってる奴が立っている。お金払って乗ってる奴が座ったらタダで乗ってる奴らの白い目に晒される。
おかしくないか?
老人のマナー違反も甚だしい。わけのわからないタイミングで自分勝手に「降ります!」などと叫ぶ。車内アナウンスで「運転中の席の移動はご遠慮下さい」と言ってるのに、お前らの為に言ってるのに、知り合いを見つけてはヨロヨロヨロヨロ席を移動する。携帯片手にでかい声で喋っている。一番酷かったのは蝉を持って乗り込んできたババア。狭いバスの中で蝉が鳴き散らかして想像を絶するやかましさだった。頼むから死んでくれと思った。
バスの運転手は老人が乗り込んでくると、転倒防止の為、その老人が席につくか吊り革につかまるかするまで発車せずにじっと待っている。これを各駅で繰り返すとダイヤが乱れる。どうしても遅れる。で、途中で人相の悪い中年のオヤジが乗り込んできて、運転手に「どんだけ待たせんねんボケ!」と喚き散らす。運転手は込み上げてくるものを噛み殺してひたすらに謝る。いたたまれない。あのオヤジも死ねばよろしい。そして、何の面識もない蝉のババアと同じ墓に入ればよろしい。
少子高齢化。子供や若者よりも老人の方が圧倒的に多い。比率が完全に逆転していて、今や社会的弱者って本当は若者の方なんじゃないか?とすら思うのだが、世の中は相も変わらず盲目的に老人を敬うことを強いる。こういうのを「形骸化」って言うんじゃないのか?実際には意味をなさない考え方が幅をきかせている。百歩譲ってこれまで通り老人を敬うにしても、これからは老人も若者を敬わねばならんのではないか?
挨拶をしても返事をしない老人が掃いて捨てるほどいる。人に何か手助けをしてもらっても「当然だ」とでも言いたげな顔をして「ありがとう」を言わない老人が腐るほどいる。「最近の若いもんは」という言葉は大昔からあるけど、「最近の年寄りは」という言葉は聞いたことがない。でもこれからはちょいちょい耳にする言葉であるべきだ。でないと、老人の人格的な水準は下がり続ける一方で、そのうち本当に敬われなくなる。
今回、この記事を書くにあたって、モンスターペアレントならぬ「モンスターシニア」という言葉を思い付いた。新しい言葉を作ったつもりだったのだが、調べてみたら既に存在していた。
皮肉な事に「介護士の視点から生まれた言葉」とあった。