和田怜士 最新インタビュー

自分が圧倒的に格下なのはよくわかってる。

Q 最新映像『the answer song(collage film)』拝見しました。初の試み。素晴らしい出来ですね。

A ありがとう。写真を使わせてもらった人たちの顔に泥を塗るわけにはいかないからね。責任感を持って作ったよ。「今の自分があるのはあなた達のおかげです」という感謝の気持ちに溢れたものにしたかった。あの人たちにしてみれば勝手に写真を使われたわけで…でも、どこにも悪意のない愛情の塊のような映像だし、誓って営利目的ではないから、気分を害する人は一人もいないと思うし、そうであることを祈るよ。

Q 本当は使いたかったけど使わなかった写真というのはありましたか?

A (ビート)たけしさんの写真かな。ギリギリまで悩んだ。俺にとってはロックスター以外のなにものでもないし。でも、使おうと思っていた写真が割と若い頃の写真で、これは、たけしさんについては何か失礼に当たるような気がして。最終的に約一名を除いて音楽界の人で纏めることにしたから、その時点ではずしたんだ。

Q サムネイル画像についてはどうですか?クリスティン・マクヴィーにした理由は?

A サムネイル画像はYouTubeが指定してきた3枚の写真の中から選ぶんだけど、その3枚というのがジョンとポールとクリスティンだった。で、曲の主人公が女性だからクリスティンを選んだ。クリスティンの表情も曲の雰囲気に合っていてベストだと思ったんだ。

Q 映像の制作を通して何か気付いたことはありますか?

A これは今回の映像のテーマでもあるんだけど、自分という人間は自分の好きな人や物や光景から成り立っているということ。自分は自分から成り立ってるんじゃないんだね。だから、好きな人や物や光景の写真を並べた時に浮かび上がってきたものはまさに俺自身だった。この映像は曲のタイトルが示す通り「俺は一体何者なのか」という疑問に対する答えなんだよ。今後、俺は自分のことを説明するのにだらだらと喋らずに済む。この映像を見せりゃ良いんだから(笑)

Q 映像の最後にご自身の写真を持ってくることにした理由は?

A 笑ってもらいたかったから。つまり、「オチ」だよ。よくもまあそこに自分を持ってこれたな。どういう神経してやがんだ。身の程を知れ!というね(笑)そうやってツッコミを入れてくれればいいんだよ。他の人たちに比べて自分が圧倒的に格下なのはよくわかってる。だからこそのオチ。真面目に捉えてもらっちゃ困る。頼むから怒らないでくれ(笑)


ライブというのはあくまで数ある音楽活動の中の一つだと思うんだよ。

Q ライブについてはどうお考えですか?もう随分と遠ざかっておられますし、予定もないようですが。

A それを残念に思う人なんていないんだから別にいいんじゃない?いや、冗談(笑)確かに少し寂しくはあるけど…難しいところだね。

Q 難しい…とは?

A 迷いがある。というのも、ライブだけが音楽じゃないし、ライブやってないから音楽やってないというわけでもないだろ?世の中にはコロナの影響でライブがやりづらくなって、音楽活動そのものを停止させてしまうバンドやアーティストがいるけど、あれはどうなんだろうと思う。コロナで支障をきたすのはライブ活動であって音楽活動じゃない。ライブというのはあくまで数ある音楽活動の中の一つだと思うんだよ。

Q なるほど。

A もちろん、ライブが嫌いなわけじゃないよ。好きだし、特別な表現の形だと思う。でも、だからといって「全て」かと言えばそうではない。ライブハウスやライブバーに出ている人たちにはライブ信奉みたいなのがあってね。俺はそこに違和感を感じる。で、それがどうやら俺だけだというところにまた違和感を感じる(笑)

Q (笑)

A 例えばこういうことなんだよ。ついこの間も、あるライブハウスで高く評価されてるアーティストのライブ映像を見たんだけど、これが物凄くくだらないわけ。良かったら良いと言うし、負けたと思ったら素直に認めて俺、とっとと音楽やめるけど、くだらなかった。さすがに場数を踏んでるだけあって、歌にしろギターにしろ技術的にはしっかりしてる。でも、肝心の曲が全然駄目なんだ。聴き馴染みのあり過ぎる「置きに行ってる」メロディーにただ美辞麗句を並べただけの歌詞が乗っててね。本当は言いたいことなんて何もないのにあるような顔をして自己陶酔してる。もう完全に駄目。で、思う。ちゃんと曲作ってからライブやれと。ライブの前にやることあるだろうと。曲の前にライブを持ってくるなと。ね?そういうことなんだ。

Q では、そんな怜士さんにあえてお訊きしますが、次にライブをやるとなったらどのようなライブにしたいとお考えですか?

A まず言えるのは、「これまでと同じ」というのは避けたいということ。何か違うことをしたい。それから、これは前にも言ったけど、エレクトリックな表現とアコースティックな表現を使い分けていきたいとも思ってる。そのためにはまずエレクトリック・ギターを手に入れなきゃな。

Q いつも思っていたんですが、何故「エレキギター」ではなく「エレクトリック・ギター」なのですか?

A 「エレキ」ってなんか…馬鹿みたいだから。かといって、エレキバンを「エレクトリック・バン」とは言わないけどね。いや、あれ?やっぱりエレクトリック・バンの方がしっくり来るな。今夜は凝っているわけでもない肩にエレクトリック・バンを貼って寝ることにするよ(笑)


露出狂の詩

最近、人の人に対する興味のなさが気になる。

人は色んな顔を持っている。が、そこに一切興味がない。いつも見ている顔。それだけで良い、十分だと思っている。

人の意外な一面を引き出す一番の近道は自分が日頃見せない顔を見せることだと思っている。見せるから見せてくれる。見せないのに「見せてくれ」はない。だから見せる。ところが見せてくれない。言葉にしてもそうだけど、投げ掛けても返ってこない、キャッチボールの成り立たない感じがあって寂しく思う。

一つの顔しか見ずに人を理解できるわけがない。よほどの想像力があれば話も変わってくるのかもしれないが、人に興味を抱かず、人と接して得るものに期待する姿勢のない人にそんな想像力などあるわけがない。

想像力のない人は3の情報と7の憶測で人を見る。その憶測が前向きなもの、希望的観測のようなものであれば良いが、大抵は期待を裏切られることへの恐怖心から後ろ向きに、悪い方へ悪い方へ捉えようとする。そうして誤解や偏見が生まれる。

皆、何をそんなにビビっているのだろう。コロナ云々とは関係なく、過剰なソーシャル・ディスタンスのようなものが溢れ返っている。自分をこわれものか何かだと思っているのだろうか。それにしては感受性に乏しいし繊細さに欠けている。

人間を好きになる必要はないし、素晴らしいと思う必要もない。ただ、面白いと思えればそれで良い。

見せてくれ。見せるから。きっとめちゃくちゃ面白い。


信念〜多少の揺らぎは許してくれ〜

楽器というのはどれも本当に美しい。俺はギター弾きだけど、ギターも本当に美しいと思う。ヘッドがあってネックがあってボディがあって、ものによってはアームまであって…完全に人間。それも相当にスタイルの良い女性である。

お小遣い帳を付け始めて1年以上経つ。目的は一つ。エレクトリック・ギターを買うため。狙いは定まっている。1本、「これしかない!」というのがあって、市場に出てくるのを待っている。が、しかし…。

調べてみたところ、2016年に世界で60本しか生産されていないらしいのである。しかも、2色生産されて、2色合わせて60本だから、俺が狙っているやつは世界に30本しか存在しないことになる。こうなるともう運命を信じるか否か。奇跡を信じるか否かという話になってくる。

あなたならどうする?信じる?確かに、運命や奇跡といった類は信じることでしか手繰り寄せられないものなのだろうけど、一生めぐり逢えない可能性だって十分にある。

それでも信じる?っていうか、俺はいつまでお小遣い帳を付け続けりゃ良いんだ?(笑)


ダイヤモンド・パンニング

新しい映像はもう観てもらえただろうか?

これでチャンネル登録者数「13」に対して映像が13本だから上限に達したことになる。俺の中にそういう規定がある。なので、今度また新しい映像が出来たら登録者数が増えるのを待つか、無理矢理増やすか、今現在配信している映像のどれかと入れ替えるかする。いずれにせよ、映像の制作と配信は今後も積極的に行っていく。

以前にも書いたが、音楽には「既聴感」というのがある。日本の音楽を聴いてきたソングライターは日本の音楽を聴いてきた人たちを相手にするわけだから、「どこかで聴いたことがある」という既聴感に訴えることができるが、日本の音楽を全くと言って良いほど聴いてこなかった俺にはそれが出来ない。昔、英国人ギタリストとバンドをやっていたことがあるのだが、彼は俺の作る曲を、日本語詩であるにも関わらずすんなりと理解して覚えた。これは、彼の中に既聴感があったからだと思う。俺は主に英国の音楽を聴いてきたから、英国人である彼には聴き馴染みがあって、日本人リスナーのように「?」とはならなかったのだろう。

とはいえ、俺は日本国に住まう日本人で、日本語詩の曲を日本人リスナーに向けて歌うわけだから、この「既聴感」という壁に対して何らかの対策を講じねばならない。となると、これはもう、曲を聴いてもらうしかない。繰り返し聴いてもらって、既聴感に代わる感覚を養ってもらうしかない。だから、ネット配信を重要視している。曲だけではとっつきにくいところをカバーしてくれるのが映像なので、出来る限りしっかり作り込むよう心掛けている。

ものを作るというのは何であれ楽しい。映像を作るのも楽しい。が、ただ楽しいから作っているわけではない。既聴感に訴えることができるのであれば「ライブ命!」という姿勢でも構わないが、俺はそういうわけにはいかない。ライブの前にやることがある。ライブを観て「?」の他に何かしら感じてくれた人を一人残らず確実に掬い上げていきたい。

砂の中からダイヤを見つけようと思えば、網の目の細かいザルが必要なのだ。


解説『the answer song(collage film)』

<曲について>

メロディーが言葉を連れてきた。アレンジに苦労したが、シスターマロンからのアドバイスを容れてキーを下げたことを発端に、ブレイクをなくして前奏を短くし、全体的にスピードを上げたことで一気に開花した。メロディーが言葉だけではなくギターの弾き方をも指示してくるように感じたが、そこは完全に無視して、指示してくるものとは真逆の弾き方を選んだ。バラード寄りに傾きそうになるメロディーをギターで叩き起こしながら展開させていく。

<音について>

Dr.Fによるマスタリング音源を使用。

<写真について>

【4】俺にとって特別な意味を持つ数字。サイコロには映像の「振り出し」という意味がある。納得がいくまで何度も撮り直した。

【ジョン・レノン(ザ・ビートルズ)】天才の上をいく鬼才。この人は年代によって顔が変わる。めちゃくちゃカッコいい時もあれば崇高なくらい美しい時もあるが、ブサイクな時は本当にブサイクなので、一枚を選ぶのに苦労した。

【盆踊り】俺が育った伊丹最北端は盆踊りのメッカで、夏になると異常な盛り上がりを見せる。皆それぞれにお気に入りの会場があって、俺のお気に入りは神秘的な雰囲気漂う天日神社。写真はその天日神社での模様である。

【リアム・ギャラガー(オアシス)】お世辞にも賢いとは言えない男。でも、どこまでも真っ直ぐで嘘がない世界最強のロックンロール・シンガー。

【伊丹】この写真を見て込み上げてくる気持ちは悲しさではなく悔しさだったりする。

【ピート・タウンゼント(ザ・フー)】(ギターを破壊する理由を訊かれて)「破壊は創造だからだよ」

【ユニオンジャック】もしイギリスという国がなかったら音楽を好きになってなかっただろうし和田怜士は存在しなかった。そういう意味では「母国」と言える。

【キース・リチャーズ(ザ・ローリング・ストーンズ)】ギターと酒と煙草を教えてくれた人。

【真紅の薔薇】俺の色。

【山口冨士夫(村八分)】ルックス、ギタープレイ…全てが日本人離れしていた、日本で一番好きな「早過ぎた」バンドのギタリスト。8年前、暴行を働く米国人を止めに入った際に突き飛ばされて頭を強打。64歳で亡くなった。

【いい加減になさい】俺が描いたイラスト。

【クリスティン・マクヴィー(フリートウッド・マック)】俺の中の5大ソングライターの一人。恐るべきメロディーメイカーで、恋多き女としても有名。本名は「クリスティン・パーフェクト」

【シスターマロン】今にして思えば、コロナ以前の日常を切り取ったような写真。お気に入りの一枚。

【ジョニー・ロットン(セックス・ピストルズ)】ピストルズが『勝手にしやがれ!』を発表した1977年に俺は生まれた。それも、ジョニーが生まれた1月31日に生まれた。誕生日占いで1月31日を調べると大抵「反骨精神の人」とある。

【ミッキー&マロリー】初めて映画『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を観たのは19才の時。衝撃だった。映画の中に理想の恋愛像があった。

【カート・コバーン(ニルヴァーナ)】自己否定の核爆弾。この人がありとあらゆるものを破壊し尽くした後、絶対的な自己肯定を引っ提げてオアシスが現れた…という流れを記憶している。

【2月8日】

【Ben】俺の親父。基本的におのれの妻しか描かない画家。子供の頃は神か何かだと思って崇拝していた。63歳で亡くなると、亡くなってから駄目な部分がちらほら見えてきて、ただのロックスターだったんだと思うようになった。

【ピエタ像】箱根の彫刻の森美術館にレプリカがあって見に行ったことがある。あまりの美しさに圧倒されて像の前で立ち尽くした。親父が「キリストよりマリアさんの方が大きいやろ?」と言ったのを覚えている。そう、いつだって男より女の方が大きい。

【ボブ・ディラン】ただひたすらに我が道を往く、ジョンやポールやキースに畏敬の念を抱かせるロック界の巨人。怒りを表現させたら上手い奴はいくらでもいるが、挑発を表現することに於いてディランの右に出る者はいない。

【蝶とカマキリ】向かって左が男。右が女。

【ポール・マッカートニー】「天才」という言葉を聞いて真っ先に思い浮かべる人。メロディーメイカーとしてもベーシストとしても凄過ぎてぐぅの音も出ない。やはり天才にもピンキリがある。彼が天才なら俺も天才なんだから。

【アダムの創造】「約束」という言葉を連想する。曲のイメージに寄せて選んだ一枚。

【和田怜士】俺が一番好きな日本人アーティスト。


『the answer song(collage film)』公開

新しい映像を制作。公開した。名付けて「コラージュ・フィルム」

前回のライブから『the answer song』の音源を聴いていたところ、「好きな人や思い入れのある物・光景の写真を繋ぎ合わせた映像を作る」というアイデアが浮かんだ。軽い気持ちで作り始めたのだが、早い段階で相当奥深いアーティスティックな表現に手を出してしまっているらしいことに気付いた。気付いた時には手遅れで引き返せなくなっていた。

写真を並べてみると、ただそれだけのことで所々に言葉らしきものが浮かび上がってくるのを感じた。ということは、もっともっと写真を選び抜いて、並べ方を考え抜いて、バラバラになっている言葉を同じ方向に纏めることができたら、写真で文章が書けるんじゃないか?と考えた。だから、最初は完成した映像に歌詩を添えて、所謂「lyric video」にするつもりだったのだがやめて、写真に喋らせることにした。感覚的には手話に近い。

これを観て感じてもらいたいもの…写真が語るものは必ずしも歌詩に沿った内容ではないが、近付き過ぎず離れ過ぎず、曲全体を通して程良い距離感を保てていると思う。

若干緊張しながら、自信を持って発表する。


今年も来た!

今年も我が家に馬鹿鬼がやって来た。

去年、何のひねりもなく残念な仕上がりだったので…

今年はリアム。

わざわざモッズコート着て、脚をプルプル震わせながら攣る(つる)勢いでガニ股でジッとしてたのに脚が写ってない。

残念!

また来年出直して来い!!


導かれて

子供の頃から「4」という数字に縁がある。学生の頃は不思議なくらい4組になることが多かったし、伊丹最北端に住んでいた頃の住所はものの見事に4が並んでいた。他にも、職場が4階にあったり、ロッカーの番号が4だったり、良いメンバーに恵まれて本格的にバンドを始めたのが24歳の時だったり、我が奥さんと知り合ったのが34歳の時だったり、ソロで初ライブをしたのが4月だったり、和田怜士の怜士が偶然にも「04」だったり、枚挙にいとまがない。

生きていて「4」という数字に出くわすと、「今、自分はいるべき場所にいるんだな」と思う。「正解です」という声が聞こえる。一般的には縁起の悪い数字だと言われているが、俺にとっては絶えず俺を見守ってくれている天使のような数字なのである。

今日、44歳になった。4が並ぶというのは、俺にとってはスロットで7が並ぶのと同じくらい嬉しいこと。悪い一年になる気が全くしないし、これまで、4という数字を通して天使が俺に言いたかったのは「とにかく、どんな形でも良いから44歳までは生き抜きなさい。何故か?44歳になったらわかるわ」ということだったのかな?とすら思う。4に導かれて生きてきたような感じがある。

ようやくたどり着いた。長いトンネルを抜けたような気分だ。間違いなく素晴らしい一年になる。やる気満々だ。