ティムは決して、日本語がペラペラなわけじゃない。でも、自分の意思を伝えようと一生懸命喋ってくれる。
私は、日常生活において日本人と喋る時の方が、ティムと喋る時よりもずっと、言葉の壁を感じる。
言葉に重みがない。言葉で意思を伝えようとする意思が感じられない。喋っている言葉の9割が無駄口だ。
「こいつら、言葉の使い方を知らないんじゃなくて、言葉そのものを知らないんじゃないのか?」と思うことが多々ある。
ティムは決して、日本語がペラペラなわけじゃない。でも、自分の意思を伝えようと一生懸命喋ってくれる。
私は、日常生活において日本人と喋る時の方が、ティムと喋る時よりもずっと、言葉の壁を感じる。
言葉に重みがない。言葉で意思を伝えようとする意思が感じられない。喋っている言葉の9割が無駄口だ。
「こいつら、言葉の使い方を知らないんじゃなくて、言葉そのものを知らないんじゃないのか?」と思うことが多々ある。
コメントを寄せてくれるのは有難いが、くれぐれも空気を読んで、ここぞと思った時にだけ、ビシッと、ピンポイントで来てくれ。あまり、むやみに連発してくれるなよ。他の読者さんが入って来にくい雰囲気にしたくないから。俺としても、もう二度とキレたくないし。だからホント、頼むよ。
祈るような気持ちだ。
これまで、宣伝らしい宣伝を一切してこなかったという見事なまでの怠惰っぷりにも関わらず、有難いことに、今や100名を超える読者を擁し、月間アクセス数も800を超えてしまっているという孤高のブログ『一憩合格』もこれで、907本目。気付けば900本を通過してしまっていた。
遅ればせながら、いつものように、801〜900本目までの文章をひとくくりにして、タイトルを付けさせていただこうと思います。
いや、これはもう、『読者数100突破』以外にないでしょう。だって、これは本当に、奇跡的な数字なんですから。有難いったらありゃしない。宣伝らしい宣伝、本当に一切してないんですから。
今までマメに、羞恥心なく、赤裸々に書き連ねてきた甲斐があったというものです。そして今後も、毎回毎回書き甲斐があるというものです。本当に、有難いです。ありがとうございます。
ちなみに、あと35本で、『イッケイノウタ』から数えて通算2000本に到達します。
以前お話しした「2000本記念式典(別名「愛読者感謝祭」要するに飲み会)やろうかやるまいか考えているところです。こういうのって、意外と誰も来ないからねぇ…。今のところ、やる確率50%です。だいぶ下がりました。
でも、ま、なにはともあれ、今後ともご愛読のほど、よろしくお願いいたします!
昨日は、スタジオ終わりに梅田界隈を一人で徘徊していた。
見渡す限り、クリスマスムード一色だった(写真はHEPFIVE横の、イルミネーションツリー)。
愛読者の皆さんの中にも、独り身の方、少なからずおられると思います。
大丈夫。クリスマスまで、まだひと月近くもございますよ。「クリスマスみたいなもんは…」と、愚にもつかない負け惜しみを抜かしてる暇があったら、これを機に意中の人にアタックしてみてはいかが?
もし駄目だったとしても、高嶺の花にブチ当たって砕け散るんですよ?本望でしょう。
え?お前はどうなんだって?
もちろん、「昨日の今日」なんで、意中の人なんているわけがないけれども、だからと言って、クリスマス最上の過ごし方を諦めたわけじゃございませんよ。恋を諦めるほど、男として落ちぶれてませんから。
大丈夫。可能性はゼロではございません。だって、まだひと月近くもございますよっ。
とにかく、ライヴを観に来い。ライヴを観てもらわんことには話にならん。ライヴ会場で待っている。一回、ちゃんと喋ろうではないか。
最初、私はお前の性別がわからなかった。そして、性別が判明した今、今度は年齢がわからんではないか。もし、お前の方が年上だということが判明した場合、私のこのお前に対する「お前」呼ばわりは一体どうすれば良いのか。ま、どうもせんが。
とにかく、一回、喋ろうではないか。ただし、その時ばかりは猫語を封印されたし。お前は明らかに猫ではないのだから。
おぅ、ホンマ、頑張っていこや。
喜怒哀楽、紆余曲折、七転八倒、力愛不二、剛柔一体、脚下章子、酒池肉林、酒池肉林、酒池肉林、布袋寅泰、酒池肉林で頑張っていこや!
あれっ!?いい感じだ。
今日は精神的にごっつキツイかなと思って、覚悟してたけど、何のこっちゃない、いい感じだ。
頭の中がバンドのことでいっぱいで、余計なマイナス思考の入る余地がない。
やっぱりバンドだ。バンドさえ安定してりゃ、俺は基本的にいつもいい感じだ。
「自分の存在意義」―それです。
「自分が生まれてきた意味」とか、「使命」とか、そんな分不相応で大袈裟なことじゃなくて、ただ普通に「存在意義」について、とりとめなく考えています。
自分の存在意義を少しも自覚できないままに、ただ変人のレッテルを背負って生きていくというのは、どう考えてもキツイよ(笑)
存在意義です。
自分の存在意義です。
この際、多少間違っててもいいんです。