あ!お帰り!くまさん!
本当に!?アリなんですか?この応え。
暴力には、拳で殴る「グーでドーン」の他に、平手打ちの「パーでパーン」や、目突きの「チョキでズン」、頭突きの「ヘッドでゴーン」なんかもあるんですが、私が意中の人に対してこの応え方をした場合、チョキでズンあたりを喰らうことになったりはしませんか?各種暴力のなかで、チョキでズンが最もシャレにならないんですが、大丈夫なんでしょうか?
大丈夫なら、OK牧場。
あ!お帰り!くまさん!
本当に!?アリなんですか?この応え。
暴力には、拳で殴る「グーでドーン」の他に、平手打ちの「パーでパーン」や、目突きの「チョキでズン」、頭突きの「ヘッドでゴーン」なんかもあるんですが、私が意中の人に対してこの応え方をした場合、チョキでズンあたりを喰らうことになったりはしませんか?各種暴力のなかで、チョキでズンが最もシャレにならないんですが、大丈夫なんでしょうか?
大丈夫なら、OK牧場。
私は大阪時代、私の奥さんの事を非常に恐れていたのである。ビビっていたのである。そして、或る日、まだそこそこ仲の良かった頃、私は日頃の想いと皮肉を込めて、奥さんにこう言ったのである。
「あんたは信長やね。で、俺は家康やわ」
奥さんを『鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス』に例えたことは、私にとって、結構な皮肉だったのである。そして、自分自身を『鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス』に例えたことは、純粋に事実を述べたまでのことだったのだが…
その日の夜、布団の上にに横になって、何気なく携帯をいじっていた私は、ゾッ!とした。なんと、奥さんの誕生日と信長の誕生日が同じで、私と家康の誕生日が同じだったのである!
これは、完全なる実話である。
意中の人がいたとして、いたとして、その人に「告白」ということをしたとして、その意中の人が「何で私なん?」と尋ねてきた場合に、「死ぬほど良いラヴソング書きたいからあ!」と応えたら、やはりグーでドーンなのだろうか。
あと、あれですな。女にも馬鹿はいますな。パスタ気違いね。
「今日、朝メシ何?」
「パスタっ」
「昼メシ、何食いに行く?」
「パスタっ」
「給料も出たことやし、今晩はなんか美味いもんでも食いに行こうや!」
「パスタっ」
「ラモス瑠偉の髪型は?」
「パスタっ」
死ねばいいのに
私は馬鹿である。なので、「私は馬鹿である」と笑って言える野郎どものことをこよなく愛する。逆に、「プライド」という言葉を連呼する、まことにもって男らしいオカマ野郎が大嫌いである。
「俺のプライドがね…」
うるさいよ馬鹿野郎。
「男のプライドがね…」
オカマのくせに何を抜かすか馬鹿野郎。
だいたい、プライドプライドって言いたがる野郎に限って食いもんの味にうるさかったりするんだよね。やれ、塩が効いてないだの、やれ、麺が細いだの、やれ、焼き方が甘いだの…。
死ねばいいのに
コンビニ『サンクス』で売っている焼鳥の「皮(タレ)」は、¥105にしてはボリュームがあり、味も、他コンビニの皮(タレ)の追従を許さない逸品である。
なんか知らんが、もう本当に、感動的に美味い。
当ブログをご覧の酒呑みの諸君。急ぎ、サンクスへ走れ!
ついでにビールをお買い求めの方は、サッポロ『ファイヴ・スター』で決まりだ!
私は日本人の分際で、日本のバンドがあまり好きではない。基本的には、日本のバンドの大半はゴミだと思っているし、私がよく口にする「日本のバンドはゴミだ」というセリフは、ある種、私の音楽観を象徴するキャッチ・フレーズのようなものだと思っている。ごちゃごちゃと言葉を並べ立てなくても、このセリフを口にするだけで、私がどんな姿勢で音楽をやっている人間なのかを簡潔に伝えることができて、結構重宝している。
がしかし、そんな私にも当然と言えば当然のことながら、僅かながら、好きな日本のバンドはある。
先日お話したように、私は昭和40年代に一世を風靡した「GS」のバンド達が大好きなのであるが、あれはもうあの時登場した全てのバンドを「GS」の名の下にひとくくりにして、別次元に置いとくとして、「GS」以外のバンドということで突き詰めて考えていくと、4組のバンドが別格の存在として、私の中にある。
村八分、ブランキー・ジェット・シティ、SMILE、ザ・コレクターズ―の4組である。そして、この4組のうち、今もなお現役バリバリに活動しているのは、コレクターズのみである。
コレクターズは1986年に日本初のモッズバンドとしてデビューして、現在に至るまで頑なにモッズであり続けて、今年デビュー25周年を迎えて、リーダーでヴォーカルの加藤ひさしに至っては今年51歳なのであるが、コンスタントにアルバムを発表し続けて、ライヴも、ライヴハウスの大小を問わず、その辺の駆け出しのバンド並みに精力的にやり続けている非常に見上げたバンドなのである。
メンバーも、大昔に一度、リズム隊の二人が変わっただけで、以降一度もメンバーチェンジをしていないし、メインソングライターの加藤ひさしは、歳を重ねる毎に作曲能力がジリジリジリジリ上がっていて、そんなこんなで25周年―日本のバンドでこんなバンドは他にいないのである。
実は、日頃あまりライヴを観に行かない私が、今までに一番数多くライヴを観たバンドがコレクターズなのである。5回くらい観たと思う。毎回、本当に素晴らしかったし、毎回「ロックバンドってやっぱり最高だ!」と思わせてくれた。
先日、コレクターズのライヴを観に行った友人のブログを覗いたところ、「俺も40や50になってもバンドやり続けたいと思った」とあったが、コレクターズのライヴを観たバンドマンは皆、同じことを思うのではなかろうか。コレクターズのライヴは本当に、そんな風に思わせてくれるライヴなのである。
で、結局私は何を言いたいのかというと、夢を持って生きることの重要性というのは、「語る」のではなくて、加藤ひさしのように姿勢として見せる―「魅せる」ことによって伝えるというのが正確なのではないか?ということなのである。
加藤ひさしに比べると、芸能生活後半の島田紳助は、夢を持って生きることの重要性を語ってばかりいた。そして、散々語った挙げ句、わけのわからない去り方をした。紳助は「有終の美」を飾れず、それまでに語ったことの全てを台無しにしたように思う。
俺はきっちり有終の美を飾るぜ!バンドを辞める時は死ぬ時だぜ!内田裕也みたいな発言だぜ!イェイ!