『堕落論』より/坂口安吾

・生きよ墜ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。

・堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。

・人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。


悪魔と天使

片方の耳元では悪魔が囁いていて、もう片方の耳元では天使が囁いている。―という画を、よくテレビなどで見かけるが、何故、あの画に於ける葛藤のテーマはいつも、「いかに悪魔の誘惑に打ち克つか。」なんだろう。一体誰が、いつ、何の権限があって、その思考の流れだけが、「葛藤」と呼ぶに相応しいと断定したんだろう。中には一つくらい、「天使の言を容れた方がそりゃ、体裁は良いだろう。しかしながら、そこをあえて、体裁が悪いというリスクを冒してまでも、悪魔の言を容れることができるか。」というテーマがあっても良さそうなもんじゃないか。

悪魔の言を容れて動いた場合、背徳的な感覚は常につきまとうし、、だから当然、自己嫌悪に陥ることも多々あるものの、そんなこんなのリスクをひっくるめて背負い込んでも良い!と思えるくらいのリターン=生きた心地を味わえるのは、一体、何故なんだろう。そうして、何故、天使の言を容れた場合には、確かに体裁は良いものの、それだけと言えばそれだけで、ちっとも楽しくなく、生きた心地を味わえないんだろう。
煙草、酒、駄菓子屋の菓子、コーヒー…どういうわけだか、身体に悪いものに限って、美味くて依存性が強いというのと同じ理屈なのだろうか。

そういえば、悪魔の囁きは「誘惑」と呼ぶが、天使の囁きは「誘惑」とは呼ばない。天使の囁きはどちらかと言うと、「説教」に近い。
誘惑と説教。―いずれも、いざやろうと思えば、労力とテクニックを要するということに於いては変わりないが、どちらがより魅力的で、人を惹き付けるのかというと、これはもう、言わずもがなで、例えば私なんかは、女性に説教されることよりも、女性に誘惑されることの方を好む。


あたしの決意表明

皆さん、如何お過ごしでしょうか?お久しぶりです。阿仁真梨です。

そうです。あたし、ちょっとだけ改名しました。「真里」を、「真梨」に改めました。
一憩がアーティスト名として、ライチを意味する「茘枝」を名乗ることにしたので、あたしも、何かしら果物を名乗らねばと思い、それで、「真梨」としました。あと、一憩が自分自身のことを、「俺」ではなく、「私」と呼ぶようになったので、あたしは私自身の事を、「私」ではなく、「あたし」と呼ぶことにしました。ややこしや。

ところで、今にして思えば、あたしは去年、厄年だったのです。33歳というのは、女性は、厄年です。一憩は厄年でもなんでもなかったのに、一憩の中の女性性たるあたしが、モロに厄年だったので、一憩の33歳が散々な結果に終わってしまったのかもしれず、それを思うと、あたしはあたしなりに少なからず責任のようなものを感じて、それで、改名してみたり、「私」を快く一憩に譲ってみたりと、あたしなりに手を打ってみたわけです。あたしも何かしら変化せねば!と考えたわけでございます。

というわけで、あたし、阿仁真梨は、『イッケイノウタ』に引き続き、この『一憩合格』でもちょくちょく顔を出しては、一憩を全面的にサポートしていく所存でございますので、読者の皆さんには、今後ともお見知りおきの程、よろしくお願いいたします!


真っ赤なライチ

前にも書いたけれど、胸に一つの、殻の固い、ライチがあるのを感じています。
殻の内側から、表に出よう出ようとする力があって、今にも張り裂けんばかりなのですが、実際には、放っておいたところで絶対に張り裂けることはないということを、私自身よく知っていて、でも、この殻に裂け目ができてくれないことには、私は、どうしようもないのです。
なぜなら、この裂け目から、自分の本当に言いたい言葉が出てくるし、また、例えば音楽は、この裂け目から内側へ流れ込んでくるからです。そうして、この裂け目を作るには、どうしても、外からの圧力が必要で、この圧力が私の場合、アルコールなわけです。

以上、新田茘枝の独り言でした。


ウインズ物語

散髪した。

近所にある、「日本一安い!」が売りの散髪屋で、看板にもデカデカとそう表示されているのだが、今時、カット千円はちっとも珍しくない上に、「千円ポッキリでカッティングしてやってるんだから、有難く思え。この貧乏人が。」とでも思っているのか、店員は無愛想の限りを尽くしていて、技術的にも、カット後に、顔や服に髪が数本付着したままという体たらくなので、極めて不快である。あと、髪を切っている最中に、耳元で、「今、お飲み物サービスやってるんですが、何かお飲みになりますか?」と囁くのをやめて欲しい。そのサービス自体を、直ちにやめて欲しい。ただでさえ、顔に髪が付着している状態なのに、そこへお飲み物など持って来られた日にゃ、どんなことになるのかは、幼児にも察しがつくだろう。
カット千円。有言実行。本当にカットしかしてくれず、セットは別料金で、店の雰囲気は完全に、田舎の不味いラーメン屋の風情であるから、オシャレな人はまず寄り付かないだろうと思われるが、私は決して嫌いではないのである。何故か、えらく落ち着く。これは、えらく残念なことである。一生出世しない人間の典型である。

次回は、コーヒーでも頼んでやろうかと思っている。


或る阿呆が刺す阿呆

女の人が優しいと、そりゃ、男は嬉しいわけです。

確かに、嬉しいわけです。

でも、同時に、「これって、いつまで続くんだろう。」と思うわけです。「この優しさの反動は、いつ、どう出るんだろう...。」と、不安に思うわけです。

演技は続かない。
「演じてる」という意識、無いでしょう?でも、演じてるんです。だから、続かないんです。

我々も阿呆です。深々と認めます。が、しかし、その阿呆を、騙し切れるつもりでいるあなたがたもまた、完全なる阿呆です。


娘へ

あんた自身が芸術家になるのは、万々歳。微塵も反対しない。でも、芸術家に惚れるのだけはやめてくれ。最低なんだ。芸術家って。本当に、最低なんだ!
人の痛みもクソもわかんねえんだよ。本当に、全く、わからなくなるんだよ。


フニャッとした叫び

喋れないから、書くんです。描くんです。歌うんです。
全ては、喋れないからで、もし、喋れるんなら書かないし、描かないし、歌わないんです。

必要最低限のことを伝えたいがために、めちゃめちゃ遠回りせんといかん、、めちゃめちゃ無様な生き物なのです。


女へ…

あなた方に黙られたら、我々男子は、終りだ。生きた心地がしない。男なんて、所詮、そんなもんです。
黙らないで欲しい。女はさておき、男は、男は、女、ありきです。
黙らないで欲しい。黙られたら、絶望的なんです。
黙らないで欲しい。
黙らないで、欲しい。