怜士本人による『Mattew5:15』全曲解説(ロックンロール・ウェザー誌最新号より)

バタフライ

「あえて2016年、この曲が出来て間もない頃のテイクを選んだ。ギターの弾き方が今とは全然違う。間もへったくれもなく我武者羅に掻き鳴らして突っ走ってる。今よりずっと速い。もし今、この弾き方をしろと言われたら…冒頭のアルペジオなんて無理だと思う(笑)」

WHY?

「家で一人、酒飲みながら聴いてると涙が出てきそうになって困る箇所がある。『底なしの純粋 弄ぶ寄生虫 お前らを許さない』ってところ。よく聴いてもらえれば分かると思うんだけど、怒りで声がうわずっちゃってる。仕方ない。目の前に数匹、寄生虫がいたんだから」

紙吹雪舞う

「この曲を書いたのは20の時だ。当時付き合ってた彼女が凄く良いメロディーだと言って驚いてたのを覚えてる。しかしまあ俺も罪深い野郎だよな。「実は俺、天才なんだ」って別れ際になって言うんだから(笑)」

orange

「曲が良くて音も良いのに客のノリが悪い。アホほどポップでキャッチーな曲なのに客の顔には「?」って書いてあって唖然としてたよ。わからん。俺にはこれがわからんことがわからんよ」

グラサージュ

「言葉には音があってリズムがあってメロディーがある。意味だけに囚われてるソングライターがやたら多いけどね。「誰が何と言おうが俺は君のことが好き」言葉自体がメロディアスで意味を呑み込んでる。良い曲になるのは当然だよ」

悪魔と呼んで

「この曲はハープを全力で吹くことに尽きる。演奏するたびに肺活量の限界に挑まなきゃならない。寿命が縮む。まったく、悪魔みたいな曲だ」

アイボリー

「冒頭に奇妙なノイズが入ってる。マスタリングの段階でちょっとしたミスがあったらしく、ドクター(サウンド・エンジニア)が削除しようとしたんだけど俺がそれを止めたんだ。残してくれと言ったんだよ。「めっちゃカッコええやん!アルバムの中で最もロックな瞬間だ!」って(笑)」

waterfall

「「音響系」っていうジャンルがある。正直意味わかんねぇんだけど、この曲って俺の中では音響系なんだよ。メロディーや歌詩以上に音を感じて欲しいっていうタイプのもの。もちろん、実際に鳴ってるのは俺の声とギターの音だけなんだけど、俺の中では他にも鳴ってる音が幾つかあって、その音の持つ中毒性というのが半端ないんだ」

the answer song

「特別気に入ってる曲。これをベスト盤に入れないという選択肢はなかった。教会で聖歌隊とかに歌ってもらえたら最高だろうな。紛れもなくアンセムだ」

ストーカー

「アルバム中唯一、バンド時代の曲。今でも本当はバンドでやるべき曲だと思ってる。即興性の強い曲だからね。腕だけではなく、想像力もあるメンバーが客そっちのけで火花を散らし合ってこその曲だ。俺はギター1本あれば表現できるけど、どこかの誰かがカバーしたいと言ってきたら悪いことは言わないからやめとけって答えるね。間違いなく大怪我する。ま、それ見たさに「是非観てみたい!」なんてテキトーなこと言ってそそのかすかもしれないけど(笑)」


これでも喰らえ!

 

初のベスト盤『Mattew5:15』

最終的なマスタリングを終えて、裏ジャケを作り直して、手書き歌詩カードを添えてパッケージング。遂に完成した。俺がこれまでやってきたことの集大成…にも関わらずバンド時代の曲に頼っていないところが誇らしい。10曲35分20秒。さすがはビートル・チルドレン。トータルタイムが素晴らしい。

8月8日発売!


誕生花

人にはそれぞれ誕生日ごとに誕生花というのがあって、その花の花言葉とその人とを照らし合わせてみると面白い。ということを職場の同僚から教わって調べてみたらこれが実に面白い。身近な人たちの誕生花を片っ端から調べてみたのだが、目から鱗。その辺の下手な占いよりずっと当たっているように思う。

俺自身についても調べてみた。1月31日の誕生花は4つあって、まずはクロッカス⬇︎

花言葉は「青春の喜び」「切望」。それから、オジギソウ⬇︎

花言葉は「繊細な感情」「感受性」「敏感」。それから、マンサク⬇︎

花言葉は「魔力」「呪文」「霊感」「ひらめき」。それから、赤いチューリップ⬇︎

チューリップは色ごとに花言葉があって、赤は「愛の告白」らしい。

「敏感」なんてまさにその通り。良くも悪くも当たってると思う。他にも、当たってるかどうかは別として、アーティストを名乗っているだけに嬉しく感じるものが幾つかある。「魔力」なんて最高だし、「繊細な感情」というのも考えれば考えるほど意味不明で良い。唯一、完全にはずれてるのは「霊感」。これは俺にはない。赤いチューリップは花自体が俺そのもののような気がする。本当は赤いバラが良かったけど、チューリップの幼稚な感じの方が俺っぽいし、幼稚なくせに「愛の告白」というのがさらに輪を掛けて俺っぽい。

誕生花。あなたも一度調べてみては?


HOPE

上手くいくかどうかわからない。こればっかりは本当に運と縁の問題だし。でも、動かないと何も始まらないのは事実。

ネット上でサポートメンバーの募集を開始した。バンドメンバーの募集ではなく、あくまでサポートメンバーの募集。募集しているのはピアノ・キーボードとドラム。どこかに未完成な感じ、足りない感覚が欲しくてベースを抜くことにした。ベースレス。その方がメンバー全員に低音に配慮する気持ちが芽生えて、全体として厚みのある良い音に仕上がるんじゃないか?と考えた。無い。じゃ、どうする?工夫するしかない。面白いものはいつも工夫から生まれる…じゃね?

期待せずに待つなんて離れ業、俺には無理。ガッツリ期待して待つ。そして、当ブログ上で目の覚めるような報告ができるよう、切に祈る。


怜士流作曲法教えます

たまに、ギターの弾き方を教えてくれと言われる。で、俺はその人が「教えてくれ」の「れ」を言い終える前に「無理」と答える。自分で何を弾いてるのかすらよくわかってないのに、人に教えられるわけがない。

最近は、曲の作り方を教えてくれなんて言われることもある。これに関しては、毎度同じ内容ではあるが、しっかり答えるようにしている。「鼻歌に言葉乗せるだけ」と。せっかく答えてやってるのに皆、怪訝な顔をして「真面目に答えろやボケ。殺すぞ」みたいなことを言う。真面目に答えている。他のソングライターがどうなのかは知らない。もっと高度な作曲法を駆使しているのかもしれないが、俺は本当に鼻歌に言葉を乗せているだけなのである。

俺のやり方を「殺すぞ」とか言わずに素直に踏襲すれば、誰だって曲が作れる。ある程度日本語が喋れて鼻歌が歌えりゃいいんだから、これほど簡単なことはない。車の運転や料理の方がずっとずっと難しい。ただ、一つだけ言わせてもらえるとすれば、俺はベテランなのである。めちゃくちゃ簡単なこととはいえ、俺はベテランで、「継続は力なり」と昔から言うように、長年やってるうちに身に付けたテクニック的なものがあるっちゃあるのである。当記事ではそのテクニック的なものを紹介し、曲を作ってみたい、それも、きちんとクオリティの伴ったものを!と考えている皆さんに伝授しようと思う。あくまで「鼻歌に言葉乗せるだけ」が基本。ベースにあることを踏まえて、お読み頂きたい。

①あえて一ヶ所だけ韻を踏まない。

邦楽をほとんど聴かず、洋楽ばかり聴いてきた俺にとって韻を踏むというのは当たり前のことであるから、昔は言葉の意味を無視してでも韻を踏もうとしていたのだが、いつからか一ヶ所だけは踏まなくても良い、むしろ一ヶ所だけ踏まない方が面白く仕上がると考えるようになったのは何故かと言うと「違和感」である。違和感の中に引っかかりが生まれて、聴いている人に「ん?」と思わせることができる。これを利用して、ここに本当に言いたいことや、特別訴えかけたい言葉を持ってくる。で、俺はここに持ってきた言葉を曲のタイトルにすることが多い。曲全体がキュッと引き締まるからである。

②声の張り方に合わせて言葉を選ぶ。

要するに母音の問題。声を張る箇所には「あ」「え」を持ってきて、声を絞る箇所には「う」「お」を持ってくる。というのはまあ当たり前と言えば当たり前なのかも知れないが、俺が特に工夫しているのは「い」の使い方である。「い」は音的に鋭い。ヒステリックな切り込み隊長である。なので、切実だったり、痛切だったりする思いは「い」を軸にして言葉を組み立てるようにしている。

③発音を崩さずとも英語に聞こえる日本語を選ぶ。

これこそまさに、俺というソングライターの特徴である。日本語本来の発音を崩すことなく英語っぽく響かせる。つまり、そもそも英語的な響きを持った日本語を選んで使うのである。なぜ英語的な響きにこだわるのかと言えば、メロディーにしなやかさを持たせたいからで、メロディーにしなやかさを持たせるためには、一つの音に一つの音(言葉)ではなく、一つの音に幾つかの音(言葉)を乗せる必要があるが、この点に於いて、日本語は根本的に分が悪い。しかしながら、日本語は英語に比べて言葉の幅が圧倒的に広いので、日頃の言葉を覚える努力さえ怠らなければ意外に何とでもなるのである。また、曲に多くの言葉を盛り込むというのは、人間の身体で例えれば、「関節を増やす」ということである。腕の肩と手首の間に肘以外の関節が2、3個あれば随分と動きがしなやかになるに違いないが、メロディーも音(言葉)を多く盛り込むことでよりしなやかになるのである。

以上3つのテクニックを用いれば、「鼻歌に言葉乗せるだけ」がただの「鼻歌に言葉乗せるだけ」ではなくなる。あとは総仕上げに、無駄な部分を削って、曲を出来る限り短くするという作業を残すのみである。「5分を超える場合は5分を超える理由が要る」と覚えておいて頂きたい。8分の曲を5分に縮めたというのなら良い。それは、5分より短く聞こえるはずである。が、3分に纏められる曲に尾ひれが付いて5分になっているのなら、5分より長く聞こえるはずである。良い曲は実際より短く聞こえ、駄目な曲は実際より長く聞こえる。これは鉄則であるし、短くするという作業はいわば「研磨」なので、曲を良くすることはあっても悪くすることはない。

さあ、教えることはもう何もない。大丈夫。簡単だ。楽器?いらん。作れる。完成したら是非聴かせて欲しい。そして、俺を師匠と呼んでくれ。


どうゆうこと?

身近なアーティストが二人、YouTubeに映像をアップしたというので、休みの日に観ようと楽しみにしていた。一人は以前からよく知っている人。もう一人はロック寄りの音楽をやっていて、最近割と評判が良いということを知ってるだけで、一曲たりとも聴いたことがないし、面識もない。

とにかく、刺激を求めていた。二人のうちどちらか一人でも曲を作りたいとか、ライブをやりたいとか思わせてくれたら御の字だと思っていたのだが、残念ながら二人ともただの貧乏フォークでガッカリした。

ポロンポロンポロンポロンギター弾いて、チンタラチンタラ歌ってる。何を歌っているのかということに全く興味が湧かず、意識が向かない。二人ともオリジナルを歌ってはいるが、オリジナリティのないオリジナルをオリジナルと呼ぶことに疑念が湧く。それから、御多分に洩れず、一曲一曲が無駄に長い。何か約束事でもあるかのように確実に5分を超えてくる。ウンザリして観るのをやめた。「こんな奴らが俺より評価されとんか…」曲を作る気もライブをやる気も失せて、曇り空の下、散歩に出掛けた。

近所の本屋。音楽誌のコーナーにコレがあり、迷わず買った。

巻頭にノエルの最新ロングインタビューがあって、その後にリアムがソロに転向する直前に受けたインタビューが続く。貪り読んだ。「俺はファッキン天才なんだよ。努力なんて一切してねえけど、常に他人の2倍良い曲が書ける。ソングライターというのは俺で終わりだ。ポール・マッカートニーやボブ・ディランといった連中がこの世からいなくなったら俺しか残らない。で、俺が死んだら誰も残らない」とノエル。「最近の奴ら、「ギターロックを蘇らせる」とか何とか抜かしてやがるけど、俺に言わせりゃただ首からギターぶら下げてるだけだ」「俺にとって重要なのはロックンロールだ。ロックンロールは命がけでやらなきゃ駄目なんだよ」とリアム。読み終えた時、俄然、曲を作りたくなった。ライブをやりたくなった。

もう、身近なところに刺激を求めるのはやめよう。っていうか、「身近」って一体なんなんだろう。そういえば、貧乏フォークの奴らを身近に感じたことなんてただの一度もない。物理的に身近だというだけの話で、身近に感じた覚えがない。俺に刺激を与えてくれる人たちは皆、海を渡った向こう側や、雲の上にいるけど、貧乏フォークの奴らよりずっと身近に感じる。精神的な距離感で言えば、貧乏フォークの奴らの方が海を渡った向こう側や雲の上にいる感じ。だから、わざわざ会いに行くまでもないし、会いに行きさえしなければ向こうから会いに来る可能性は限りなくゼロに近い…っていうかゼロなんだから、徹底的に無縁でいられる。

しょうゆうことだな。


NO COMPUTER(加筆修正版)

歩くのが好きだ。車なら10分、チャリンコなら20分で到着するところを30分かけて歩く。大阪にいた頃は電車通勤すべき距離を片道45分かけて歩いていた。交通費を浮かそうなんて魂胆は微塵もなく、ただ歩きたかった。

「過程の中にこそ滋味が転がっている」と考えるのか、過程なんぞすっ飛ばしていきなり目的地に辿り着こうと考えるのか。この違いがアナログとデジタルの違いだと思う。

端的に言えば、アナログには式だけがあって答えがない。もちろん、式がある以上、答えはあるのだが、答えを伏せて、式そのものを答えとする。俺が書く歌詩なんてまさにそう。答えを言えば3秒で済むところを3分かけて式で表現するから、答えありきの歌詞しか知らない人はたちまち「わからない」となる。一方、デジタルは答えだけがあって式がない。これはつまりどういうことかといえば、式が無数にあるということ。例えば「176」という答えがあるとして、そこから式を導き出せと言われても困る。だって、そんなもの、数限りなくあるんだから。なので、式は考えるだけ無駄。面倒臭いから無かったことにして、「始めから答えしかありませんでした」と開き直るのがデジタル。

「過程をすっ飛ばしていきなり目的地に辿り着く」デジタルの究極形はどこでもドアだと思う。パソコンやスマホはその雛型だろう。人を駄目にするという意味を含めて、いい線行ってる。じゃ、アナログの究極形は?カッコ付けるわけじゃないけど、人生ではなかろうか…と思う。

死ぬ間際に一生を振り返る。ありとあらゆる記憶が走馬灯のように頭を巡るが、それが一体何だったのかという答えは出ない。で、息を引き取る瞬間に、記憶の走馬灯そのものが答えであることに気付く…という感じなのではなかろうか。デジタルに言わせれば「0」と、ピーっていう音の他に何もない。それが全てだという話なんだろうけど、アナログなら、答えは同じ「0」でも、そこへ至るまでのことを色々と考えさせてくれて、何かしら意味を感じさせてくれるんじゃないか?と思う。


歌詩カード制作

ベスト盤に封入する歌詩カードを制作した。まさかの手書き。何でもかんでもパソコンに頼るご時世に異を唱えるべく挑戦した。

ちっちゃいちっちゃい字。4時間くらいかかった。めっちゃくちゃ疲れた。でも、挑戦して良かった。

実に新鮮だ。


失敗グルメ

今日はこのベスト盤の裏ジャケを制作していた。で、完成したのがコレ。

表と裏、真逆のテイストで…と考えた時に、この、魔女が降臨した不思議の壁の写真を思い付いた。で、曲目等の文字を打ち込んだのだが、何度やっても上と下が切れてしまう。何故だかわからない。何度やっても上手くいかない。イラッ💢として、や〜めた!と制作を投げ出しかけたその時、気付いた。映画のエンドロールみたいで、動きがあって、ごっつええやないか…と。

やっぱり、失敗ほど美味しいものはない。


不思議の壁

個人的に「不思議の壁」と呼んでいる壁が職場にある。なぜ不思議なのかと言うと、不思議なシルエットが映し出されるからである。例えばコレ。

ただ単に煙突の影が映っているだけなのだが、毎日見られるのかと言うとそうではなく滅多にお目にかかれない。おそらく、幾つか条件があって、それが全て揃った時にだけ浮かび上がるのである。俺はこのシルエットをビートルズと呼んでいて、コレにお目にかかれた日は悪い一日にならないと信じている。

それから、先日、水を扱う業者が帰った後に浮かび上がっていたのがコレ。

驚いた。俺には魔女が天を仰いでいるように見えた。描こうとして描けるシルエットではない。いつかジャケ写に使おうと、急ぎシャッターを切った。

ビートルズ、魔女…次は誰が来るのだろう。