誘発されて

いよいよ、リアムが本格的に動き出した。

youtubeには、新曲「WALL OF GLASS」(最高!)のPVや、ライヴで「DON’T LOOK BACK IN ANGER」(!)を歌う映像がアップされたし、来月か再来月には初のソロアルバムが出て、それから、サマソニに出演するために来日もする。

私はリアムの声を聞くと歌いたくなる。

私の次回ライヴは7月末。リアムに誘発されて、爆発的なライヴになること間違いなしだ。


一憩合格の復活

先月、私は、当ブログとFacebookの使い方について考えていた。

当ブログは、読者の顔が見えないし、リアクションが全くと言って良いほど無いから、下手をすれば完全に私の独り言で終わってしまっている可能性があるーという危機感がいよいよもって芽生えてきた。一方、Facebookは、読者の顔がある程度見えて、リアクションがある。なので、物は試しと、数本、いつもなら当ブログに上げるような記事をFacebookに上げてみた。

自分らしい記事であればあるほど、リアクションが薄くなることに気付いた。当たり障りのない無難な記事にはそれなりのリアクションがあるが、ちょっとでもひねったり、吠えたりしようものならもう駄目。Facebookには言いたいことが言えない雰囲気があり、無言のダメ出しがある。

と、そこへ、ある友人からメールが届いた。その中に「いつもブログ見てる」とあった。ナイスなタイミング。「枯れ地に雨」とも言うべき、嬉しいリアクションだった。そして、私の奥さんも、ブログを大切にした方が良いと言った。だから、重点を完全に『一憩合格』に戻すことにした。

言いたいことが言えないんじゃ意味がない。『一憩合格』は言いたいことが言える。読みたくなきゃ読まなきゃいいし、読みたきゃ読めばいい。そりゃ、読んでくれたら嬉しいけど、誰も「読め」とは言ってない。私にとって、Facebookがアウェーなら、『一憩合格』はホームだ。

さあ、気を取り直してジャンジャン書いていこう。誰にどう思われようが知ったこっちゃない。赤裸々に、思ったこと、考えたことを綴っていこう。

でも、だから、あの…気が向いたらでいいから、たまに「見てるで」だけでもいいから、リアクションをくんろ。


先月の未発表記事 Ⅴ

「若者が本を読まなくなった」という言葉を耳にするようになって久しい。でも、昨今の日本人が文化的に疎くなったというのは、本に限った話ではない。音楽だってまともに聴いていないと思う。

あなたのそれは、音楽を聴いてるとは言わない。

あなたが「音楽」を口にするたび、私は何故か、Facebookの「友達」を連想してしまう。


先月の未発表記事 Ⅳ

日本の音楽ー歌謡曲だとかJ-POPだとかは、サビにくるまでが実に退屈だ。サビだけでもっているような曲が大半を占める。が、サビのメロディーが特別良いかと言えばそうではなく、ただ、サビ以外のメロディーの半端ないくだらなさがサビを引き立てているだけの話。

日本の音楽の大半は、私が高2の時に体験した、ブサイクだらけの女子の中からナンバーワンが誕生した時と同じ理屈から成り立っている。


先月の未発表記事 Ⅲ

春。めちゃくちゃ良い天気で、近所の公園に行くと子供がわんさか居て、元気に走り回っていた。が、家に帰ってテレビをつけると、どのチャンネルも北朝鮮の話題で持ち切りで、なんとも言えない気持ちになった。

生まれて初めて、平和をテーマに曲を書きたいと思った。平和ボケしたような、なまぬるいのじゃなくて、もっと切実な…それこそ「imagine」みたいなのを。

私ならできる。

何年レノンの子供やってると思ってんだ。


先月の未発表記事 Ⅱ

生きているとどうしても、「思い出の品」なる物が増えていく。でもこれは、辛いけど、可能な限り捨てていかないと前に進めない。また、「物より思い出」ってなことを言うけれども、物だろうが記憶だろうが後ろ向きであることに変わりはないから、気合いで、可能な限り振り払っていかないといけない。

とは思う。

思うけど、思い出に浸っている時のあのキュンとした感じを曲にした時に、めちゃくちゃ良い曲になったりすることが多々あるのも事実でござる。


先月の未発表記事 Ⅰ

ソロ活動に専念するようになってからというもの、T・レックスをよく聴くようになった。マーク・ボランがめちゃくちゃ好きになった。

意味のない歌詞とタイトル。シンプルなコード使いと、衝動を爆発寸前のところで抑えているかのようなスリル感のあるヴォーカル。

グラムロックといえば、マーク・ボランとデヴィッド・ボウイだが、マーク・ボランは過小評価されている人で、デヴィッド・ボウイは過大評価されている人だと思う。

デヴィッド・ボウイは時代の流れを読むことに長けた人だった。だから、逆に言えば、時代の流れに対していつも微妙に遅れていた。でも、マーク・ボランは違う。マーク・ボランは時代の流れを作った人だった。