Chinese Burn

以前、書いたことがあるけど、昔、大阪のレンズ工場で働いていた時、同僚に中国人のファンディ(「凡丁」と書く)っていう奴がいて、すごく親しくしていた。よく働くし、陽気で面白い、いい奴だった。俺が仕事でピンチになるたびに助けてくれた。だから、中国人に対して悪いイメージって、俺にはない。いい奴もいればヤな奴もいるというのは日本人だって同じだし、当たり前だけど、国籍なんて関係ない。ただ、中国という国自体はあんまり好きじゃないというのが正直なところ。

最初にコロナを発見した数名の医師が「根も葉もないことを言うな」と処刑されたと聞く。また、「我が国はコロナの抑え込みに成功した」とか言って、巨大なプールにステージを特設して音楽フェスを開催。水着姿の民衆がものすごい人口密度の中、マスクもせずに半狂乱している映像を見たが気は確かか…と思ったのは俺だけではないだろう。それから、職場でよく電球を交換するのだが、中国製の電球は2ヶ月しかもたず(日本製は2年もつ)、切れた中国製の電球を抜くと、照明機器そのものがおかしくなって、日本製の電球を受け付けなくなってしまうのである。

冒頭に書いたように、中国人に対して悪いイメージはない。でも、中国という国を一人の人間だと考えた場合、絶対に関わりたくないなと思う。態度がデカくて嘘つきで何をやらせてもテキトー。そういえば、ファンディと一緒に工場の食堂で昼ごはんを食べていた時、TVで中国で大地震があって大勢の人が亡くなったというニュースが流れて、「ファンディ、お前の国大変なことになってるぞ!」って言ったら笑いながら「和田さん。中国人何人いると思ってる?死ねばいい」なんて驚きの返事が返ってきて椅子から転げ落ちた覚えがある。中国は自国民にすらさほど好かれてはいないらしく、ファンディが祖国のことを自慢したのは後にも先にも「お正月が賑やかで楽しい」だけだった。

 


PAUL WELLER

ギターに限らず、『音』ってことで言うと、この人の作る音が好きだ。

UKロック界の要、ポール・ウェラー。高校の時に「ポール・ウェラー」「ワイルド・ウッド」「スタンリー・ロード」の3枚を聴いて、音の素晴らしさにとろけた。ギターの音はもちろんのこと、ドラムの音がもう筆舌し難く好きで、音を「聴く」のではなく、「体感する」というのはつまりこういうことなのかと思った。絶妙なアナログ感。とにかく気持ち良い。

当然、曲も素晴らしいと思っていた。思ってはいたが、当時の俺には重く響いたのか、何故か聴いていて元気が出なかったので、ハマるということはなかった。それが今回、再びエレクトリック・ギターを弾くようになったことがきっかけで音について深く考えるようになると、真っ先にウェラーの名が浮かんで、久々に聴いてみたらこれが元気出る出る!と、同時に落ち着く。音が良くて、曲が良くて、元気が出て、落ち着けて、文句の付けようがない。ついでにウェラーって、ルックス的にもめちゃくちゃカッコ良い(だいぶ歳取ったけど今もめちゃくちゃカッコ良い)から、完全にハマってしまった。いちいち渋い。気付けば、amazonでアルバムを買い漁り、CD棚のザ・フーコーナーの隣にウェラーコーナーを設けている自分がいた(フーもウェラーもモッズだから、この並びがミソなのだ)。

聴いてみたい?じゃ、1曲お送りしましょう。是非、大音量で聴いて欲しい。

ポール・ウェラーで「Sunflower」!

 

 


遅れて来たギター小僧

昨日、さくらをスタジオデビューさせた。読者の皆さんに聴いてもらうべく何曲か録音したのだが、上手く録れなかった。というのも、現場で実際に鳴っている音と、録音した音のギャップが半端ないのである。これは、エレクトリックならではの現象だと思う。アコースティックでこんなギャップは感じたことがない。それと、俺がエフェクターを使いこなせていないこともある。はっきり言って、アンプだって使いこなせていない。出た!先天性機械音痴…。でも、さくらの音自体は申し分ないし、エフェクターをかませた音も狙ってる方向に向いてはいるから、あとは学習と試行錯誤あるのみ!

今まで割と長いことギター弾いてきたけど、ギターに夢中になって所謂「ギター小僧」になったことはただの一度もない。それがここにきて、44歳になってなったというのは実に愉快。

どう考えても俺、今が一番若い。ま、音楽やってる間だけ。和田怜士でいる間だけだけど。

 


ミュージシャンと呼ぶな

親父は画家だったけど、詩も頻繁に書いていたし、曲を作ったこともあった。で、よくこう言っていた。「絵が描けて曲が書けないなんてことはないし、曲が書けて絵が描けないなんてこともない」その通りだと思う。

目と鼻と口と耳が繋がっているように、芸術というのは皆、一人の人間の中で繋がっているんだと思う。その証拠に、音楽的才能のある人に絵を描かせたり文章を書かせたりすると質の高いものを持ってくるし、文章を書く才能がある人に曲を書かせたり絵を描かせたりしてもきちんと美意識の行き届いたものを持ってくる。そう、全ては美意識の問題。曲を書く時に美意識を持てる人が絵を描く時や文章を書く時に美意識が持てなくなるなんてことはあり得ないし、文章を書く時に美意識を持てる人が曲を書いたり絵を描いたりする時に美意識が持てなくなるなんてこともあり得ない。逆に言えば、美意識を持てないことが何か一つでもあれば、それは全てに於いて美意識を持てないということで、こういった人のことを「才能がない」と言うのではないだろうか。

たまにFacebookを覗くと、相変わらず、ミュージシャン達が書いた内容がなくて文章力もない記事がわちゃわちゃと落ち着きなく祭りのように躍っている。最近は苛立たしく思うのも面倒になって、彼らの頭の悪さを嘲笑って楽しめるようになったが、それにしても酷い。「見られている」という意識がない。恥ずかしくないのだろうか。文章で美意識を感じさせることのできない人間が音楽で美意識を感じさせられる訳がない。「これ(文章を書くこと)は本職ではない」とでも言いたいのだろうが、本職外のことでそこまで駄目なんだから本職はもっと駄目だろう。

もちろん、中には読み応えのある記事を書いている人たちもいる。そういう人たちは例外なく音楽も素晴らしいから、俺は敬意を込めてアーティストと呼んでいる。既に書いたように、音楽的才能があるということは広く芸術的才能があるということなんだから、「ミュージシャン」だなんて、音楽に特化した呼び名で括るのは間違いだと思っている。


遅れてきた開花宣言

さくらに買い与えておかねばならないもの。機材としてはひとまずコレでラストだ。

チューナー。チューニングする時に使うエフェクターである。小さいがスグレモノ。昔はこんなのなかった。というのもコレ、全弦同時チューニングができるのである。全弦同時にジャーンと鳴らせば、全弦のピッチが同時に表示されるので、これまでのように一弦一弦ちまちまと順番にチューニングするという、ロックスターとしてあるまじき姿を晒さずに済むのである。大体、俺はギター弾きの分際でチューニングが嫌いだ。面倒臭い。なので、コレ以外に選択肢はなかった。ただ、コレにはブラックの他にホワイトがあって、どちらにするか若干迷ったが、オーバードライブやリバーブよりチューナーが目立つというのはアカンと思ってブラックを選んだ。

これで、オーバードライブ、リバーブ、パワーサプライ、チューナーと、必要不可欠だと考えていた4台が揃った。エフェクターボードは百均の穴あきクラフトボード(シスターマロン考案)と結束バンドで既に製作してあったので、チューナーを右端に設置して、起動させてみた。

カ、カッコいい…。まさか俺がエフェクターボードを持つ日が来るなんて。4台が4台とも愛おしい。感無量。胸踊る。

機材は揃った。で、準備完了かというとさにあらず。もう一品、機材ではないが、絶対に買い与えねばならないものがある。それはいわば、さくらが一番上に羽織る着物。厳選に厳選を重ね、買い与えたのがコレだ。

この柄が似合うのは花魁と皇帝ぐらいである。

準備は整った。

晴れの日を選んでスタジオデビューさせるとしよう!


実話〜緊張と緩和からの緊張〜

以前、眼診というのを受けたことがある。眼科を受診したということではない。目を見て、覗き込んで、その人の性格を診るという、いわば手相占いの眼球版である。で、その時、眼診師に言われたのが「あなたは何より窮屈であることを嫌います」だった。「例えば、あなたにとっては車ですらただの鉄の塊でしかありませんから、乗っていて窮屈だと感じておられるはずです」とも言われて深く恐れ入った。仰る通り。なぜ目を見ただけでそんなことまでわかるのか。

ところで、マスクが嫌いだ。この御時世、仕方ないからしてるけど、本当は大嫌い。子供の頃から大嫌い。メガネが曇るとか、呼吸がしづらいとか、見た目的に嫌だとかそういうことじゃなくて、窮屈だから嫌い。だから、コロナが流行してからというもの、日々、耐え難きを耐え忍び難きを忍んでいる。眼診師が言ったように、俺にとって窮屈は天敵だ。マスクなんかしてたんじゃ運気のようなものすら下がっていくような気がする。実は結構気が気でない。ところが、一日に一度だけ、コロナの意味を考える時の角度が変わる一瞬というか、マスクに有り難み…こそ感じないけど、マスクのおかげで幸福感のようなものを感じる一瞬がある。

仕事帰り。コンビニでビールを買って、人気のない道を歩く。その道を歩くのは、時間にして僅かに3分くらいだけど、道の始点でビールの栓を開けてバッとマスクをはずす。この瞬間が至福の瞬間なのである。もちろん、マスクから解放されたことの喜びもある。でも、それ以上に感動的なのは空気の美味さなのだ。植物の匂い、土や砂の匂い、夕食の支度をしている民家から漂ってくる匂い。ありとあらゆる平和な匂いが渾然一体となって怒涛の如くに流れ込んでくる。で、俺は思う。昨日も思ったのに今日も思う。外の空気ってこんなに美味かったんや!知らんかった!なんだかんだで平和やないか!LOVE&PEACE!

と、そこへ、ミリタリー柄の服を身に纏った明らかに頭のおかしな野郎がキエエエエエエエエ!と奇声をあげて民家の裏庭、野菜やなんかが植っているところから突如現れてモデルガンで俺を撃ってきたのである。

当たらんかったけど…。


嬉しい途中経過

8月、10月、12月の伊丹3days。8月と10月は俺が出るということ以外まだ何も決まっていないが、12月については、昨日、みこみかんさんとバニーマツモロさんの出演が決定した。

みこさんと同じ日にステージに立つのは、2018年の6月以来だから、実に3年半振り。みこさんがソロに転向して「みこみかん」を名乗るようになってからで言えば初の競演ということになる。それから、バニーさん。バニーさんと当たるのはこれでなんと7度目。定期的にお互いの音楽を確認し合ってきたと言っても過言ではない。絶えず切磋琢磨してきた…と、俺は勝手に思っている。

二人とも、俺にとっては数少ない「仲間」だが、ライブで当たるとなると話は別。気を抜かず、闘争心を燃やして、勝ちにいく。また、そういう風に思わせてくれる二人の存在を本当に有り難く思っている。

12月ともなれば、俺とさくらのパートナーシップも盤石の体制となっているだろう。

フフフ…。

※来月5月9日(日)、伊丹DABADAにみこさんとバニーさんが出演する。これを観ておけば12月がさらに楽しみになること間違いナシ。俺?もちろん観に行くよ。備えあれば憂いなし。視察だ(笑)


リング・スター

もし、歩く豪華絢爛とも言うべき花魁の指にシンプル極まる地味な銀の指輪が光っていたら、本当はそっちが本性なのではないか?などと勘繰って胸ときめかせてしまうに違いない。

というわけで、オーバードライブ、リバーブと来て、次にさくらさんに買い与えたのがコレ。

パワーサプライ。読んで字の如く、各エフェクターに電力を供給する、縁の下の力持ちである。縁の下の力持ちなので、どれも自己主張を控えた大人しいルックスをしている。中には少し出しゃばった感じの風貌をしたものもあるが、基本的に地味。オーバードライブがギタリストで、リバーブがベーシストだとするとパワーサプライはドラマーであるから、寡黙にドンと構えて全体を支えることに徹する気概のようなものを感じさせてくれるものが良いと思い、コレを選んだ。

なんだか、一人で音楽やってる感じじゃなくなってきた。この際、エフェクターにも一台一台名前付けるか?(笑)