温故不知新
今月のロッキン・オン。ロッキン・オンーこれを読んでいる時、私はとても大人しい。口をきかない。
学生時代、これを読む時の集中力で教科書を読めてたら、公立の大学とかにも行けてたような気がしないでもない。
私は全く勉強ができなかった。数学や英語はいつも20点以下で、要するに「赤点」だった。16点とかはザラだった。でも、日本史と世界史だけはいつも80点を超えていた。
何故か。
私にとって歴史の教科書は、歴史の教科書だけは、ただの楽しい読み物であって教科書ではなかったからである。が、考えてみれば、今月号のロッキン・オンも、特集がまさかのプログレで、その他の記事もデヴィッド・ボウイ、レッド・ツェッペリン、ザ・ローリング・ストーンズ、オアシスと、完全に歴史の教科書なのでありました。
言葉の壁
⬆︎ジミー・ペイジ
レッド・ツェッペリンのリーダー、ジミー・ペイジがツェッペリンの全音源の音質向上(デジタルリマスター)に取り組んでいるように、私は私で、自分の全オリジナル曲の歌詞の見直し/改良に取り組んでいる。そして昨日、ようやく、全42曲中34曲の見直し/改良が終わった。残すところあと8曲。
歌詞の見直しについては、バンドをやっている時からやらねばやらねばと思っていて、そんな曲が多々あったのだが、バンドをやっている時は過去の曲の見直しよりも新曲を量産することの方に重きを置いていたので、ついつい過去の曲がほったらかしになってしまっていた。
地道かつ地味な作業を経て、過去に書いた曲が甦っていく様というのは実に嬉しい感覚なんだけれども、いかんせん地道かつ地味な作業なので、産みの苦しみと言うかなんと言うか…面倒くさい。でも、気に入らないものを人前に晒すわけにもいかない。
もし、歌詞を書かなくても良いんだったら、今頃、私のオリジナル曲は200曲くらいあると思う。
メロディーやアレンジは閃きだけでどうにでもなるけど、歌詞はそうは烏賊のきゃん玉。メロディーに対して言葉数を合わせないといけないし、韻を踏まないといけないし、意味だけではなく、言葉の持つ響きやリズムを吟味してベストなチョイスをしないといけないし…かくして、作曲の何倍も作詞に時間を費やして、私は本当に音楽の人なんだろうか?と、たまに思う。
ジミー・ペイジが羨ましい。だって、ツェッペリンの歌詞の大半はヴォーカルのロバート・プラントの手によるものなんだから。
ロバート・プラント求む。
私は癒し系
俗に言う「癒し」の意味がさっぱりわからない。
子供の頃の私にとっては、ビートたけしの毒舌こそが癒しで、それこそあのフライデー襲撃事件なんて本当に感動して、完全に癒しな出来事だったし、ストーンズの初来日公演を観た中2以降はロックが癒しの最たるもので、例えば、ビデオで観たセックス・ピストルズのライヴで、ジョニー・ロットンが「誰でもいい!誰かを殺せ!」と半泣きで叫んでいる姿こそが癒しだった。本当に、涙が出るくらい嬉しかったんだから。
私に関して言えば、俗に言う癒しが癒しだったことなんてただの一度もない。
私は、私の音楽は癒し系だと思っているし、私自身も癒し系だと思っている。私と同じように、俗に言う癒しに癒されない(騙されない)人たちにとってはなかなかの癒し系だと、常日頃、自負している。
で、これは、以前にも書いたかもしれないけど、私は、「癒し」なるものにもコンタクトレンズと同じようにソフトとハードがあると思っています。でも、誰もかもがソフトなものだけを癒しだと捉えているようで、そのことに違和感を感じたり疎外感を感じたりしてイライラするたびに、私にとっての癒しが、じゃんじゃんじゃんじゃんハードなものになっていきます。








