優しさというのは感性の問題だと思う。投げ掛ける側にも受け取る側にも感性が要る。感性がないからあからさまになるし、感性がないからあからさまなものでないと優しさだと感じなくなる。日常的なさりげない優しさの積み重ねが単発的であからさまな優しさに食われる様は、優しい人が「いい人」に食われているようで見るに耐えない。
いじめの最たるものは無視だと言う。その通りだと思う。そして、裏を返せば、優しさの根幹は「あなたを見ている。あなたに興味がある。あなたのことを知りたい」という姿勢だと思う。ところが皆、見ているようで見ていない。お互いに全く興味がなくて、知りたいと思っていない。人を知るというのは「背負う」ということ。皆、背負うことを嫌がって、執拗に身軽でいようとしている。時折、テキトーにあからさまな優しさを見せておけば、背負うことなく人との繋がりを維持できると思っている。浅はかにも程がある。寂しい。心細い。
俺が次に書くべき曲は「あなたを見ている。あなたに興味がある。あなたのことを知りたい」だと思う。ある人には俺なりの想いを込めて。ある人には皮肉を込めて、痛烈な当て付けとして歌いたい。