100%純粋な心の持ち主がいたとして、彼が極めて生きにくいであろう、いや、生きていけないであろうことが、容易に想像できるのと同じように、100%嘘をつかない人間というのもまた、そんなのはいるはずがないけれども、いたとすれば生きていけないに違いないので、例えば、教育の場に於いて、あまりうるさく、「嘘をつくな!」と教えるのは、いかがなものかと思われるがしかし、「人の為の嘘のつき方を覚えなさい。」と教えるのもまた、いかがなものかと思われるというのは、その言葉尻に、「自分の為の嘘はつくな。」という意味合いが色濃く潜んでいるからであって、しかしながら、人間、実際には、自分の為の嘘が、それがたとえめちゃくちゃ他愛もない言葉であっても、社会的に円滑に生きていく為には、どうしても必要不可欠なものだからで、したがって、教育の場に於いては、私のこの文章を、冒頭から、子供達に読んで聞かせるというのが、最も適切な教育かと思われるが、おそらく、そんなことはしない方が良いのだろう。