巨大☆白星

今までずっと、大阪から伊丹に帰ってきたことの意味を考えてきた。本当にこれで良かったのか?それとも…。
私は大阪での生活に「敗戦」して、伊丹に「敗走」してきたんだと、ずっとそういう風に捉えてきた。

でも最近、考え方が少し変わってきた。

時間と金の使い方、人との関わり方、感情の出し方について、窮屈な思いをしなくて済むようになったことや、友人達の有り難みを痛感する一方で、必要ではないアホな友人の存在にも気付いて、彼(彼女)との関係を躊躇なく断てたことや、素晴らしいメンバーに恵まれて再びバンド活動ができるようになったことや、本を読むことが大好きな自分に気付けたことや、楽しい職場に恵まれたことや、夏、イタソニの各会場に足を運んで故郷、伊丹最北端に対する愛情をさらに深いものにできたことや…と、負の要素がどこにも見当たらない。負の要素がどこにもないから、おのずと考え方もポジティブなものになり、言葉が跳ねて、跳ねる言葉がさらに良い状況を連れてきて―どうやら私は、伊丹に帰ってきて正解だったようだ。

確かに失うものはあったし、それは決して小さなものではなかったけれども、「肉を切らせて骨を断つ」―私は、本当は、勝ったのかもしれない。
今、私は、生きていて嬉しい。「生きていて嬉しい」なんてフレーズは、完全に勝者の言葉じゃないのか?

ざまあみろ!俺は生きていて嬉しいんだぜ!アンタの負け!俺の勝ちだ!


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