ここにある諦観

世の中には、「戦場カメラマンと介護士は現場に戻る」という言葉があるらしい。
「見返り」を、「儲け」を、ある程度度外視した恐怖とか緊張とかの向こう側にある、大きなやり甲斐に取り憑かれてのことだと思う。実際、私は戻った。

同様に私は、「バンドマンは現場に戻る」とも思っている。「現場」というのは、ステージのこと。実際、ステージ上というのは、恐怖と緊張のルツボなのであるが、でも、それでも、バンドマンは、必ず戻る。一銭にもならんが。

要は、戦場カメラマンや介護士のように、恐怖や緊張が先にきて、やり甲斐が後にくるのか、バンドマンのように、やり甲斐が先にきて、恐怖や緊張が後にくるのかの違いだと思う。

屈折した言い方をすれば、私は、介護士をやっていて、「楽しい」と思わなかったことはないし、また、バンドマンをやっていて、恐怖や緊張を感じなかったことはない。

やり甲斐があるから楽しい。でも、その「楽しい」を感じるためには、恐怖や緊張が必要不可欠なんだと思う。

ただ、私の場合問題なのは、右足と左足が、真逆とも言える方向に「戻ろう」としているということである。片や介護士、片やバンドマン。

俺の人生、どうなるんだろう―本当は、人並みに、毎日不安で、もっすごいビビっている。でも、不思議なことに、「死にたい」などとは微塵も思っていない自分がいる。しかしながら、最終的には、私の人生、ロクなものにはならんだろうと感じている。

で、それでいいと思っている。


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