プラネタリウム

「希望的観測はまず当たらない」というのは、大人であれば誰でも知っていることで、それは、私のような子供以上大人未満な人間でさえ知っていることなのだがしかし、「明日があるさ」に代表される、いわゆる「夢ある言葉」の裏側には常に、希望的観測があるんじゃないのか?「勘」でも、「展望」でもない、悪名高き『希望的観測』が。

ということは、つまり、あれだね、な〜んか結構悲惨だねぇ…。


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。