「死んだ人間なんてどうでもいい」と口癖のように言っていた親父の涙を一度だけ見たことがあって、それは親父の妹さんが亡くなった時のことだった。
親父は墓参りになど行くような人ではなかったが、今にして思えば不思議なことに、まだ中1かそこらだった私を連れて、妹さんの墓参りに行ったことがあった。何故か周りには誰も居なかった。本当に親父と私の二人だけで、墓の前に立っていた。
親父はポケットからハイライトの箱を取り出すと、一本抜き出して火をつけて、「こんなもんは気持ちの問題や」と言って、線香を差す器にそれを立てた。そして、手を合わせることをせず、ただ墓の前に立って、墓の方を見ながら私に「死んだら終わり」と呟いた。
私は親父のこういう所が好きだった。死ぬほどカッコいいと思った。もし、親父の考え方ややり方や生き方が社会人として、大人として失格だというのなら、私も失格街道を突っ走ってやると思った。が、「大人」呼ばわりされる歳になって、蓋を開けてみると、私は親父に比べてあまりに臆病な人間だった。
それはそうと、親父に比べれば、その辺の社会人も大人もあまりにくだらない。みんな同じ顔をして、同じことを言ったりしたりしているーということくらい、中1の私の目にも明らかなことだった。