Monthly Archives: 7月 2015

テトリス〜親父と私〜

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ビートルズもストーンズも、ビートたけしも、酒も煙草もジッポーライターも、「人生観」と呼ばれるものも、恋愛観らしきものも、友人観も宗教観も、全ては親父から教わったもの。私はただ親父を真似てきただけのこと。私の口から私独自のものが出てきたことなんてただの一度もない。

本当は、私には、オリジナリティの欠片もない。私ほど没個性的な奴はいない。ただ、親父に強烈なオリジナリティがあっただけのこと。だから、何をやっても、何を作っても、真っ先に親父に意見と評価を求めて生きてきた。

ヘルパーの資格をとった時は、何故か親父、めちゃくちゃ喜んでくれた。「お前ならできると思ったよ」と。ヘルパーの資格なんて、ただ学校に通えば良いだけの話で、誰だって取れるのに。

バンドをやってる時、新曲ができると真っ先に親父に聴いてもらったし、好きなバンドができると真っ先に親父に聴いてもらった。10中8、9、「全然アカン」と言われたが、親父が良しとしないものは、自分の中で良しとできなかった。

親父に「ものつくりでいて欲しい」と何度言われたかわからない。「音楽から離れるな」という言葉も、何度耳にしたかわからない。

「人の真似だけはするな」と言い続けた親父の真似をし続けた。可能な限り親父を演じ続けた。そうして、親父が死んだら、当然ながら、私も死んでしまった。「死んでしまった」という表現自体がおこがましい。何様だ。元々、そんな奴はいなかった。

親父が死んだ後も、髭をはやしたりして親父を演じ続けた。職場のエレベーターには鏡があって、乗るたびに、自分の顔が親父に似てるかどうかを確認していた。

でも私は、私がどこにもいない、いなかったことに気付いた。私は、今まで、一度たりとも自分を生きたことがない。
私自身は、徐々に気付きつつあったけど、端から見れば「突然、落ちた」ということになる。

呪縛といえば呪縛。でも、呪縛の中にしか生きる指針みたいなものを見つけられずに生きてきたから、「呪縛」という言葉を使うこと自体に踏み絵を踏むような罰当たりな感覚があって、ここから抜けるとか、これを捨てるとか忘れるとかいう発想が毛頭浮かばない。

「弱い」ならまだ良い。強くなれば良いんだから。私の場合、「無い」んだからどうしようもない。何も無いのに、考える材料なんて何もないはずなのに、朝から晩までああでもないこうでもないと考えて、頭の中が言葉でいっぱいになっている。何かしら考えてないと不安でしょうがない。

頭の中にテトリスがあって、考えれば考えるほどに言葉がずんずんずんずん積み上げられていく。でも、性格的に「本音は墓場まで」だし、実質上、音楽をやめてしまったから、言葉は積み重なっていくばかりで、それをただひたすらに眺めていることしかできなくて、そのうち、早かれ遅かれ、ゲームオーバーとなってしまうーという流れを繰り返しているし、これから先も繰り返してしまうのではないか?という不安がある。

こういう時、親父ならどうするんだろう…。

※本記事は、ブログ上に一度アップしたもののすぐに削除したものに少し手を加えたものです。ある人が良い文章だと言ってくれたので、記録として、書き残すことにしました。


爪の垢は売ってない

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「気に食わない奴は殴る」リアムになりたい。

親父より、師匠より、リアムになりたい。

若かりし日、バンドをやる前、完全に無名、オアシスのヴォーカルになるよりずっと前、バイト先でトイレの掃除をしろと言われて、「馬鹿野郎!俺はロックンロール・スターだ!」と叫んでモップを床に叩き付けて出てったリアム・ギャラガーになりたい。


栗頭〜先月の未発表記事〜

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私は頭がでかい。学生時代、映画鑑賞会のたびに後ろの奴に「見えねえよ馬鹿野郎!」と言われて、あまりに悲しいものだから映画鑑賞会のたびに仮病を使って学校を休んでいた…くらいでかい。でもその分、面白い発想がいっぱい詰まっている。面白い発想がいっぱい詰まってはいるが、これを具現化する能力に乏しい。

小学生の時、鉛筆やクロッキーで絵を描かせたら私の右に出る者はなかった。でも、そこに色を塗ると一発で駄目になった。これは、音楽についても同じことが言えて、メロディーと詩については誰にも負けないと思えるものが書けるのに、そこに音を絡めて全体像として表現するとなると全然上手くいかなかった。自分の書いた曲の頭の中にある理想像に対して、自分の弾くギターの音をどうもっていけば良いのかさえわからなかった。

何事につけても、線は得意だが、色や音となると全然駄目。

誰にも負けない綺麗な設計図が書ける。設計図そのものを「作品」と呼んでもらえたら嬉しい。でも、一体何のための設計図なのか。


本音は墓場まで~先月の未発表記事~

親父の名言に「本音は墓場まで」というのがある。

私は「本音を言えない」ということについてずっと悩んでいた。
本音を言えないー自分でも痛いほど自覚しているし、他人からも耳にタコができるほど繰り返し指摘されるし…自分の中に憤怒にも似た苦悩があったのである。

だから、酒を飲める歳になって以降、酒を飲みながら、何度か親父に相談をした。

最終的に親父はこう言った。「誰かが僕に「本音を言え」って言ってきたとする。僕は「ホンマにええねんな?」って繰り返し訊いてからそいつに「死ね!」って言うと思う。それはお前も一緒やろ?だから、本音なんて、一生言うたらアカンねん」

親父のこの言葉を、痛いほどよくわかる、わかってしまう自分が嫌だ。


先月の未発表・未完成記事

①高校時代に一緒にバンドをやってたギターの奴が、音楽の専門学校に通い出した途端にやたらと理論と「プロ」を語りだした時、猛烈な違和感と寂しさを感じた。そして、実際、彼の音は駄目になった。上手いかもしれないが、音が、気持ちが、「こなく」なった。

②ヘルパーの学校に通っていた時、講師の「村本さん」がこう言った。

「ずっと素人でいてください」

③先日私は、「何事に於いても、理論や理屈を知れば知るほどに損なわれていくものもあるのでは?」と言いたいだけだった。

④「プロ」を否定するつもりなど微塵もなかった。ただ、経験も知識も技術も十分にある人が「素人でいてください」と言ったことに感銘を受けたーと言いたいだけだった。


中吐露~先月の未発表記事~

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いつまで経っても「吹っ切れる」ということができなくて参っている。吹っ切れることができたら私は本当はもっと面白い奴なはずだし、もっと「見える」奴なはずなんだけど、吹っ切れると同時に派手にコケてしまいそうだし、コケた時に受け身をとれずに大怪我をしてしまうような気がして怖いのである。

絶えず何かしら考え事をしていて、息を吐くことを忘れている。が、吸ってばかりいるかというとそうではない。当たり前だ。そんなことをしておっては死んでしまう。ただ最近、息をすることそのものを忘れてしまっている瞬間が多々あって、気付けば大きなため息をついてしまっている自分がいる。自分にとっては深呼吸でも、端から見ればため息。こんなことではいけないーという立場でもある。

ここを何とか乗り越えねばと思っている。

乗り越えたいと思っている。


パチンコ屋が嫌いです

少し頭を冷やすだけのことで思い出せることが多々ある。意識に上ってはこなかったが、実は見えていた、気付いていたことまで思い出せることがある。

焦って、考え過ぎて、頭が熱を帯び始めたタイミングで忘却が始まって、脳が炎上、頭痛が始まった頃にはもう全てを忘れてしまっている。

私を駄目にするのはいつも、騒音と速度だ。騒音に速度が絡んだら…それはもう私の生きられる世界ではない。


チンポジ

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私はやはり、師匠(たけし)寄りの人間であって、さんま寄りの人間ではないと思う。

同系列の人間の最高峰的存在として、師匠を尊敬している。でもその一方で、自分には到底真似のできない別世界の人間の最高峰として、明石家さんまを猛烈に尊敬している。二人とも凄い人間だと思う。

最近、師匠が死刑制度に異議、反対を唱えた。「殺しちゃ駄目だ。生かさなきゃ。生きることの辛さを味わわせなきゃ」一方、さんまの座右の銘は「生きてるだけで丸もうけ」であって、愛娘に「いまる」と名付けたことはあまりに有名である。

私は、どう考えても師匠寄りの人間だと思う。思考回路の構造が基本的にネガティヴにできていて、そこに熱を持たせることで自己主張する。「生きてるだけで丸もうけ」なんて超絶的にポジティヴな言葉、宝くじで一等が当たって働く必要がなくなったとしても絶対に吐けないと思う。

ちなみに、これは余談だが、私の親父がよくこんな言葉を漏らしていた。「日本人には「死ねる」という発想が欠けてる」

親父はビートたけしのことが大好きだった。「たけしは凄い」と口癖のように言っていた。「僕はいつか、たけしと一緒に酒を飲んで語り合うことになる」とも言っていた。私にとって親父は神だった。神が絶賛する人なんだから文句の付けようがない。だから私はビートたけしのことを、「神の次に凄い」という意味で「師匠」と呼ぶようになった。

小4の時から「師匠」と呼んでいる。


バッド・ボーイズがやって来た!凄ぇ!凄ぇ!凄ぇ!

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今日私は、塚口のさんさんタウンの5Fにあるブックオフまでてくてく歩いてって、これを見つけて、即買いしたのである。

帯に書かれている文章を読んで、即買いしたのである。

「ビートルズの完全コピーバンドの代表的存在である4人組の入魂のアルバム。“ビートルズになる”ことに音楽的精密さで挑戦してみせた姿勢に技術がともなっている凄さ。これはトリビュートではなく、精神の転写である。ビートルズがいかに世界を変えたかについてストレートに再考させるパワーにあふれている」

購入後私は、エスカレーター横のベンチに腰掛けて、CDウォークマンにこいつをぶち込んだ。

鳥肌が止まらない!!!
こんなことは何年振りのことだろう!
たぶん、15年振りくらいの出来事。奇跡だ!

日本人がビートルズをコピーした時にどうしてもつきまとうダサさを微塵も感じない!英語の発音もバッチリだし、音の分厚さは本家並みだし、それより何より、声が、声が、声が、本家(特にジョン!)に全然負けてない!

73年発表。フォーク全盛期に発表されたこのアルバム。こいつらが、こいつらの音が、ただのコピーバンドで終わっていないのには訳がある。音の向こう側から「やっぱビートルズだろう!ロックンロールだろう!」という叫びがガッツンガッツン聞こえてくるのである。「フォーク?この平和ボケどもが!」と。

裏ジャケには、このアルバムが発表された当時に寄せられたあるアーティストの文章があって、その文章はこう締めくくられている。

「好きな様にやれ、気ままに唄え、それでも、我々ファンは、ザ・バッド・ボーイズに夢をたくし続けるのだから。僕は、もう、うつむいて歩くことをやめようかな?と思いはじめた」

この文章、誰のものなのか。

文章の下に見覚えのある名前が。

「吉田拓郎」

あの頃の拓郎の太鼓判付きなんだから間違いない。疑いの余地がない。

当分俺、これしか聴かねぇよ(笑)