Monthly Archives: 6月 2015

自由のガキ

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20代の時、バンドマンの名の下に自由を謳歌し過ぎたか?いや、そんなことはない。だいたい、30代の前半にその代償は十分過ぎるくらい多分に払ったつもりだし、今だに払い続けてるではないか。それに、20代の時、自由を謳歌していたのは確かだが、私はめちゃくちゃ真面目に音楽に取り組んでいたぞ。そう、私はめちゃくちゃ真面目にロックンロールをしていたのだ。

私は常に間違いのない音楽をやっていた。私が作った40曲のうち、少なくとも15曲は、名曲と呼べるものだ。

またバンドがやりたいかって?そりゃ、やりたいに決まってる。当たり前だ。このまま消滅するつもりは微塵もない。でも今は、ライブをやりたいんじゃなくて、レコーディングがしたい。自分の曲を、音楽を、形として残したい気持ちが強い。だってこのままだと、私が死んで消滅すると同時に、私が作ったあの曲達も消滅してしまうんだから。私が「あいつら」を残してやらねばならない。私以外にあいつらを救い上げて、形として残してやれる奴はいないのだ。

音楽をやってる時の自分が好きだった。音楽をやってる時だけ、自分のことが好きだった。それはきっと、自分の作った曲達が自分のことを絶えず褒めちぎってくれていたからだと思う。


しょうがないじゃないか

公共機関等に電話すると当然ながら名前を訊かれる。で、私は自分の名前をこう説明する。

「平和の和に田んぼの田。それから、一つの憩と書きます。え?あ、はい。憩は休憩の憩です」

これでわかったでしょう?

和田一憩からしてみれば、どいつもこいつもあまりに交戦的で無駄にイライラしている。もうちょい落ちつけんか?と思う。もうちょい落ちつけんか?と絶えず思い続けることによって、私自身は小刻みにジャブをもらうようにして地味に疲れていく。

ま、しょうがないか。なにせ私は、「平和の和に田んぼの田。それから、一つの憩いと書きます。え?あ、はい。憩いは休憩の憩です」なんだから。


何故ナイフを持って立っていたのか

ブルーハーツの1stに「少年の詩」という曲があって、これはヒロトがマーシーと出逢う前に書いた曲で、マーシーが良い曲だと言ったのでブルーハーツでやることになった曲なのだが、この曲の中でヒロトはこう歌っている。

「言葉はいつでもくそったれだけど、僕だってちゃんと考えてるんだ」

それからこうも歌っている。

「どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと」

で、曲の核となるフレーズ。何度か繰り返されるフレーズがこれ。

「そしてナイフを持って立ってた」

私には、ヒロトの言わんとしていることが痛いほどよくわかる。

完璧な詩だと思う。


☆リニューアル☆

管理人が当ブログをリニューアルしてくれた。やはり、持つべきものは友である!

リニューアル後の一憩合格は…
①過去の記事が見やすい
②気持ちの悪いコメントが反映されない

今後ともご愛読とコメント書き込みの程、よろしくお願いします!


嗚呼、難民

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カートのドキュメンタリー映画が公開されるらしく、コンビニに広告が貼り出されていた。

先日、ニルヴァーナのTシャツを着てチャリンコをこいでいたら、私のTシャツとはデザインの違うニルヴァーナTシャツを着たオッサンとすれ違った。すれ違った場所が伊丹の最北端であることを思うと、ニルヴァーナがいかに世界的なバンドかということを思い知らされた。

でも、普段、ロック好きにお目に掛かる機会は皆無と言っていいほど無い。

毎年、フジロックやサマソニに集まってくるあの何万という人は、日頃、どこに潜んでおるのか。彼らもやはり、日常の社会生活に於いては、ロック好きを公言することによって、「あはは、ロックね」などと嘲笑されているのであろうか。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スターの名はかろうじて知っていても、ジョージ・ハリスンは知らず、ストーンズに至っては存在さえ知らないような奴らに嘲笑されているのであろうか。あれは難民の群れか。

一体誰が映画を観に行くのだろう。


輪郭

誤解には、自分自身に対する誤解というのもある。

こう見えて私は、自分は、何もできない実にちっぽけな野郎だと思っている。子供の頃からずっとそう思い続けてきた。「信じ続けてきた」と言っても過言ではない。自分で思う自分の輪郭が恐ろしく小さいのである。

だからこれが、一部でも良いから、誤解であってくれることを切に祈りながら生きている。


モンスターが現れた!

心から「殴りてぇ~」と思った。それから「どつきてぇ~」とも思った。

「どつきてぇ~」と思った時、何故か自分の手元に、どつくに手頃な木の棒があったが、さすがにどつきはしなかった。

仏頂面のブサイクー私はその女を「毒がんもどき」と呼んでいる。


言葉足らずの苦悩

「女の言い訳はみっともないことはない」なんてことはないんだから、もしそれが、そのわだかまりが誤解だと言い切れるのであれば、「男の言い訳はみっともない」なんて押し付けがましい言葉は忘れて、わが身の潔白の為に言葉の限りを尽くして言い訳し倒すべきだと思う。

明らかに誤解されているのにヘラヘラしていられるなんてのは、強さでもなんでもない。ただのバカだ。

必要とあらば、毅然として弁解しなければならない。毅然として弁明しなければならない。

難しいことだけれども、難しいなんて言ってられない自分がいる。