雫を求めて

ライヴ中に見るわけじゃないけど、私にも、自分の曲の歌詞を書いたノートがあって、歌詞を一部変更したり、新曲ができたりするたびに、書き直したり書き足したりしている。

先日、新曲の歌詞を書いておこうと思って、ノートを開いて気付いたのは、現時点で、自分のオリジナル曲が45曲あるということだった。本格的に曲を書き始めたのが22歳の時だったから、私のソングライターとしてのキャリアは今年で18年ということになるんだけど、18年で45曲というのは、普通に考えれば、少ないのかもしれない。少な過ぎるのかもしれない。が、これには理由がある。

まず、私はそもそも寡作家であって多作家ではない。自分の中にコップが1個あって、そこに時間をかけてゆっくり水が注がれていって、表面張力を破って滴り落ちてきた雫の部分が曲になる。だから、どうしても時間がかかる。

良い曲に限って一瞬でできる。でも、その一瞬は、そこに至るまでの膨大な時間があってのこと。

もう一つの理由は、私に、気に入らない曲をすぐボツにする癖があるということ。少しでも気に入らないとすぐボツにする。気に入らない曲は、ただただ恥ずかしいし、要らないものは要らないからボツにする。断捨離。

以上、二つの理由から、「18年で45曲」なのである。そして、以上、二つの理由から、気付いたことがある。Facebookの「友達」の数についてである。

私は、Facebookを始めて1年半近くになるが、「友達」が31人しかいない。ライヴ等で知り合う人の数を思えば、明らかに少ない。何故か。実はこれにも理由があって、二つの理由があって、二つの理由の内容は、「18年で45曲」と全く同じでなのである。

曲の数についても、「友達」の数についても、私の中に「量より質」という考え方があるわけではない。かといって、「質より量」という考え方があるわけでもない。あるのは「質も量も」という考え方のみ。だから、「45」という数字も、「31」という数字も、なかなかナイスな数字で、悪くないと思っている。

最後に、私が書いた『道化師の息子』という曲の中に、「数を誇るのは子供でもできる。大きさにものを言わせて踊れ」という歌詞が出てくるのだが、これは、「数」に対して「量」ではなく「大きさ」を持ってきているところがミソなんだと思っている。


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