バンドやってるバンドマンをぶっとばすバンドやってないバンドマンの肖像

一般の人たちの中には、「バンドマン」と聞いて、どこかブッ飛んだ、特殊な人種を思い浮かべる方もあるかと思う。かく言う俺もそう思っていたし、バンドマンのいる世界に治外法権的な自分の居場所があることを期待していたのだが実際は…普通である。ガッカリするほど普通で、人並みに一般常識に精通していて、縛られていて、どこか諦観があって落ち着きがあり、「計算高い」という部分に於いてのみ熱みたいなものを感じさせる残念な人種なのである。

確かに、容姿や歌詞の内容や音のデカさはブッ飛んでいるかもしれない。でも、容姿や歌詞の内容や音のデカさでブッ飛び感を出すことほど簡単なものはない。本来は、容姿も歌詞の内容も音のデカさも一般の人たちが理解できる範囲内にありながら、トータルで見た場合に明らかに「普通」という言葉の枠外にあるもののことを「ブッ飛んでる」と言う。

俺自身について言えば、もうちょいブッ飛ばねばと思うくらいブッ飛んでいるという自覚がない。でも、ブッ飛んだ人間に憧れてブッ飛んだ人間を演じておきながら、実際にブッ飛んだ人間が現れると「常識がない」などと言って嫌悪感を覗かせるバンドマンに敬遠されてるのを感じることが多々あるから、たぶん、ブッ飛んでなくはないんだろう。それに、俺のことや、俺の音楽を気に入ってくれている人たちは見るからに変わり者の、ブッ飛んでる人が多いから、「類は友を呼ぶ」のなら、俺もやっぱりブッ飛んでなくはないんだろうと思う。

良いことだ。有り難いことだ。

社会人としてイケてなくても、バンドマンとしてイケてりゃそれでいいんだし、バンドマンとして凸な人間は、例外なく、社会人としては凹なんだから。


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