俺は老人

わかっていた。自分が幸せに生きていこうと思えば、家庭と仕事と夢、三本の柱が安定していないと駄目だということを、かなり早い段階で、頭ではわかっていた。

二十代後半で家庭と仕事の為に夢を諦めたら、僅か数年で家庭も仕事も失ってしまった。三本の柱が、お互いを支え合うギアのようなもので、一つ機能しなくなれば他の二つも機能しなくなってしまうということを知らなかったからだ。

俺は、年末になるといつも言う。「クソ長い一年だった」と。仮に、ここまで、一年を倍の長さに感じて生きてきたとすると、俺は今、俺の中で82歳。少し極端だが、わかりやすく例えればそういうこと。実年齢の問題ではない。俺は人格的に老けてるんだと思う。「成熟」ではなく、ただ老けている。昔から老人だった。だから、歩く時、杖が要る。三点で身体を支えながらでないと歩けない。

俺のように無駄に年老いていない健全な大人は、二本の足があれば歩ける。家庭と仕事。この二つが安定して噛み合っていれば生きていける。

世の中には、健全な大人でもなければ、俺のような老人でもない人間がいる。彼らには家庭と仕事と夢の他にも手放せないものがある。つまり、四点で身体を支えながらでないと歩けない、ハイハイの赤ん坊。

施設で働いていた時、杖で介護士をどつき回す老人を見た事がある。健全な大人と、赤ん坊と、老人。凶器代わりになるものを肩見放さず持ち歩いているのは老人だけである。

 


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