我が美徳

見ての通り、俺は人に恐れられるような人間ではない。音楽人としての俺、「和田怜士」を恐れる人はひょっとしたらいるのかもしれないし、もしいたら、それはなんとなく嬉しいことだったりもするんだけど、音楽人でない時の俺を恐れる人なんていない…と思うでしょ?俺自身、そう思う。だって、普段の俺に人に恐れられるような要素なんてどこにもない。人に対して腹が立ったり頭に来たりすることなんて滅多にないし、温和過ぎるくらい温和で、それがちょっとしたコンプレックスだったりもするんだから。当然、殴り合いの喧嘩なんて生まれてこの方した事ないしね。でも、何事にも例外というものはあって、昔から、ある種の人達には恐れられることがある。それはどういう人達かと言うと、「皆から恐れられている人」達だったりする。

皆から恐れられている人。といっても、凶暴だったり人相が悪かったりして恐れられてるんじゃなくて、皆の尊敬を集めている人。「凄い人」とされている人特有の圧があって、そういう意味で皆に恐れられている人に恐れられることがある。

例えば、高校の時、ある先輩のベーシストがいて、皆から尊敬されていると同時に恐れられてもいた。スタジオへ行くとしょっちゅうその人に出くわした。いつも誰かと一緒にいて楽しそうに喋っていた。が、俺には一度も口を利かなかった。挨拶をしてもまともに返事をしてもらえなかった。はっきり言って、目すら合わせてもらえなかった。嫌われてるのか?でも、俺、何も悪いことしてないぞ。何か失礼なことをしたか?喋ったこともないのに?

数年後、その人が俺の事をどう思っていたのかを、その人と親しくしていた友人から聞くことができた。その人はこう言っていたらしい。「あいつは得体が知れん」。

皆から尊敬され、恐れられている人に恐れられているように感じたのはこの時だけではない。本当に一度や二度ではないのだが、理由はおそらく同じ「得体が知れん」だと思う。なぜ「得体が知れん」なんて思うのか。それは多分、俺から尊敬の念みたいなものを一切感じ取れないからだと思う。犬や猫がひっくり返って飼い主にお腹を見せて服従の意を表す、あの感じが俺からは全くもって感じ取れないのだろう。尊敬されて当たり前だと思っているような人達にしてみれば不可解だろうし、不快だろうと思う。そういえば、俺は子供の頃から、皆が尊敬している人の事を尊敬できなかった。尊敬「しない」んじゃなくて「できない」。今も昔も、基本的に、人望ある人の人望の理由が理解できない。「先生」とか「師匠」とか呼ばれている人の良さがわからない。どちらかというと、皆から敬遠されている一匹狼的な人の事を尊敬するし好きになる。小学生の時、家の近所に誰もが慕う、面倒見が良いことで有名なガキ大将がいた。友達は皆彼に憧れて、彼と行動を共にしていたけど、俺が兄貴と慕って毎日のように一緒にいたのは弟分の俺以外には誰ともつるもうとしない、近所でも札付きのワルだった。俺にはすごく優しかった(入学式の日の朝、家まで迎えに来てくれて、教室まで連れて行ってくれたりもした)けど、他の奴らに対してはスズメバチのように攻撃的な人だった。

しかしまあ「得体が知れん」か。悪くないね。ステージに立つ人間としてはむしろ美徳だな。


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