心に真珠を持つ男

長きに渡る隠遁期間を経て「和田怜士」の名で音楽活動を再開したのは2016年3月の事だった。今はもう無いが塚口に「ごろごろ」という店があって、飛び入りで歌ったのが最初。その時、俺の後にZさん(仮名)という年配のブルースマンがステージに上がった。

ぶっ飛んだ。物凄かった。信じられなかった。黒人の血が流れているとしか思えないノリに満員の客席が沸きに沸いた。普段、ブルースなんて絶対に聴かないであろう人たちが全力で手を叩いて身体を揺らしていた。初めて、完全に負けたと思った。ブルースがなければロックはなかった。ブルースはロックの父。ブルースには勝てないと思った。そう、実は俺は、活動を再開するやいなや完敗を喫していたのである。初戦を落としていたのである。

Facebookの友達申請。Zさんのような素晴らしいアーティストとは滅多に出会えるものではない。是非、繋がっておきたい。でも、完全に負けたし、向こうは俺の事なんて屁とも思っていないだろうな…と躊躇しているところへZさんから「宜しければお友達に」と来た。嬉しくて即承認。以来、現在に至るまで、ZさんとはFacebookで繋がっていて、ごくごくたまにではあるが連絡を取り合っている。

先日、ふと「来年、自主イベントをやってみようかな」と思い立った。誰を呼ぶ?考える前にZさん抜きではあり得ないと思った。Zさんには以前から「自分がイベントをやる時には絶対出て下さい!」と言ってきたし、意を決して「来年やるとなれば出演して頂けますか?」といった内容のメールを送ってみた。するとすぐに返事が来て、「お誘い感謝します。でも、残念ながら、あと一年半はライブをやるつもりはないんですよ。一年半前にライブをしました。で、その時にこれから三年間はライブから身を引いてブルースを追求しようと決めたので、あと一年半」とあった。俺はこの人やっぱり本物だと思って、心服して、「やっぱりZさんは本物です。わかりました。では一年半後に」とだけ返して、イベントの話は消えた。

Zさんがライブから身を引くことにした理由。「ブルースを追求したいから」というのは事実だと思う。あの日、俺が目の当たりにしたライブは、そういう人じゃないとできるものではなかったからだ。でも、理由はもう一つ別にあるんじゃないか?と思っている。それは、他の演者とのポテンシャルの差だったり、意識の差だったりにあるんじゃないか?その肩透かしみたいなものにウンザリしたんじゃないか?ということだ。

心からブルースが好きで、ブルースの良さを伝えようとステージに立つ。「楽しけりゃいい」なんて考えは微塵もない。そんな人が「楽しけりゃいい」と言って、軽薄な気持ちで音楽やってる人たちの中にいれば、肩透かしを食らったような虚しさを感じてしまうのは当然の事。意識レベルの低い演者と、それを観に来た客の前にブルースを出して見せることの豚に真珠。もうこれ以上真珠を汚したくないと考えたのではないだろうか。そう考えると、Zさんが俺と繋がりを持とうと思ってくれた理由がなんとなく理解できる。俺がロックという真珠を持っているということ。そして、その魅力を伝えようとする気持ちがZさんに負けず劣らず真摯なものであることを「同じ匂いがする」と言ったかどうかは知らないが察してくれたんだと思う。

ライブから身を引いたZさんは今、新開地のライブバーでブルースギター教室を開いている。演者としてではなく講師として、ブルースを伝えよう、広めようとしている。自身より上にブルースを持ってきている。姿勢として宗教家に近い。音楽愛、ブルース愛に溢れた本当に美しい舵の取り方だと思う。

「石の上にも三年」と言うが、三年、講師としてブルースの為に尽くして、何か悟るものがあって、研ぎ澄まされて、雑音が全く気にならなくなるところまで来たら、また演者としてステージに戻ってくるのだろう。その時、Zさんの前に立ちはだかるのは俺だ。復活したばかりのところを思いっきり叩く。あの時、俺がやられたように。


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