白い才能 赤い才能

どえらい事を言うと思われるに違いない。が、本音を言えば、俺は、和田怜士の才能は佐野元春に劣らないと思っている。違いはあっても差はない。

佐野元春。素晴らしいアーティスト。本物だと思う。だから好き。大好きだけど、才能が「自分より上」という意味合いで崇拝しているのかというと、そうではない。上に「違いはあっても差はない」と書いたが、その違う部分について、佐野元春の右に出る者はいないと思っている。そういう意味で、尊敬している。

ただ、絶対に敵わないというか、そもそも比較の対象ですらない点がある。それはやはり、40年というキャリアと、その内容。

40年間、休むことなくロックし続けてきたということ。一つの表現に留まらず、時にはファンを置き去りにしてでも新たな表現に挑戦し続けてきたということ。そして、そうやって、ついて行くのが大変なくらい猛烈なスピードで変化し続けてきたのに、63歳となった今もライブ会場を満員にできるということ。凄い。

常に新しいものを生み出していこうとするアーティストとしての顔。眼つきは鋭く冷たい。そこに詩人としての知性と、紳士的な立ち振る舞いと、アーティストとしての顔にある鋭利さとは真逆のなんとも言えない可愛らしさ、愛嬌、暖かい包容力がある。これは40年というキャリア。立ち止まらずに闘い続けてきたことの結実。今や、佐野元春という人間そのものが「作品」なんだと思う。

人間そのものが作品。人生として、42年のキャリアしかない俺に当てはまるわけがない。ただ、持って生まれたものについて言えば、負けていない。生まれてきたことの意味について考える時、「音楽」以外のワードからは何も始まらないという資質。メロディーメイカーとしても詩人としても(実は詩人としても)、負けていないと思っている。色こそ違うが同じものを持っている。

俺は俺で、自分が持って生まれたものとその色について、右に出る者のいない者になればいいんだと思う。トップに立てばいいんだと思う。

ね?ちゃんと学んできたでしょ?

いよいよもって病的な大口叩きになっただけか(笑)


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