硝子に刻む言葉

「傷つきやすい人=繊細な人」ではないと思う。

今まで生きてきて、繊細な人を何人か見てきたが、繊細な人に限ってタフに見えた。強そうに見えた。本当に繊細な人は、繊細だから、人一倍人に気を使わせたくないという気持ちが強い。だから、多少の事では傷つかない人間を演じる。その気づかいは「気品」と呼べるもので、可憐で美しい。そう、繊細な人は可憐で美しい。

傷つきやすい人は、傷つきやすい自分を見せようとする。人間の可憐で美しい繊細さは見せようとして見せられるものではない。それは、掌の上に落ちてきた雪を人に見せようとするのと同じ事。むしろ、隠そう隠そうとする中から見えてくるものだと思う。

傷つきやすいって大変な事だと思う。辛いと思う。だからこそ、「繊細」なんて言葉を与えるべきではない。傷つきやすい人にそんな言葉を与えてしまったら、そこに逃げ込んだまま出てこなくなってしまう。傷つきやすい人の為を思うのなら、思えばこそ、「ガラスのハート」とか、その辺の言葉にとどめておいて葛藤を促してやるべきだ。

と、エラそうな事を言っておきながら、俺自身はどうなのかと言うと、傷つきやすい面倒臭い人間であって、繊細な人間ではない。が、自分の事となると都合良く希望的観測が働くもので、傷つきやすい人というのは繊細な人になる資質を持っている人の事なんだと考えている。傷つきやすい自分を隠す努力。ガラスのハートを隠す努力を重ねることで繊細な人間になれる。この努力に限って言えば、俺はできていると思っている。隠し方にも色々あるんだろうけど、俺は一つ、知っている。俺には、「隠せ!隠してみせんかいアホンダラ!」と言って焚き付けてくれる存在が常に側にあって、それに奉仕して、それの為に尽くす事で、傷つきやすい自分を繊細な自分に少しずつ近づけていく事ができる。

「それ」って何か。それがROCKだ。もし、ROCKという音楽、概念、存在がなかったら今頃俺は泣き言や弱音ばかり吐いているただの負け犬野郎になっていたに違いない。


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