今日、近所のブックオフでオアシスのブート(海賊盤)を見つけた。「で、で、出たあ〜!」即買い。2枚組¥780(!)
「俺、家買いに行くから」というありえない理由でリアムが欠勤。急遽、兄貴が全曲歌うことになった1996年のライブ。公式では絶対に出ない貴重な音源。めちゃくちゃ音悪いけど、俺は満足。だって、オアシスだ!
俺にとって、ビートルズが「愛」ならオアシスは「恋」。ビートルズのブートは欲しいと思わないけど、オアシスのブートは欲しい。
俺にとって、オアシスのブートを買うというのは、修学旅行の後に好きな子が写っている写真をこっそり買うようなもの。
いくつになっても胸ときめくオアシスの音楽。たまらん。最高だ!
ありていの表現になりますが、
怜士さんの音楽への愛?熱を感じる記事でした。
ティーンのころのような感覚を今も尚お持ちで
ぶっちゃけうらやましいと思います。
わたしの場合、新しい音に出会った瞬間
深夜限定ですが、小躍りしているときが
ありますが、、、あとは、、、。
他力本願、あるいはほかになにもないから
「音楽」とか自分への疑いの念を
いつもライブでそしてCDでかき消して
もらってます。
多少、愚痴りましたが、とにかく
音楽にそこまでの熱量をお持ちの方の
そばにいさせせていただき感謝としかない。
ほかの方はみなどうにもこうにも
熱が冷めた、悪い意味の左脳人間ばかりです。
わたしもそのうちの一人かもしれません。
よくモチベーションを「維持させる」という
表現を目にしますが
感受性にそれをするのであれば
それはもう「ない」んでしょうか?
教えていただきたいです。
「好き」という言葉をどう捉えるかだと思います。
「真実」という言葉があって、これはもう、何か、救い難く恐れ多い言葉なんですが、何かを、誰かを本当に好きだと思えた時には…う〜ん…何ていうか、その…ちっとも恐れ多くない。
何かを、誰かを、死ぬほど好きになれたら、そこに「真実」があって…つまり、いや、その…上手く言えませんが、才能の有る無しについても、本当にちゃんと好きになれるか否かにかかってるんだと思います。
死ぬほど好きなら、何事も、なんとかなる。でも、死ぬほど好きになることは、容易な事ではない。でも、死ぬほど好きになれたら…なんとでもなる。
わかりません(笑)
さすがです。
だいぶすっきりしました。
頭でっかちと言われたのも先日です。
本当はある程度、わかりやすい要素
例えば、キャッチーなコードやフレーズが
あれば気持ちいいです。
わからないものをわかろうとして
苦しんでいたのに、気づきました。
ありがとう。好きでないものを好きになろうと
している自分にも気づきました。
好きな音はちゃんとありました(笑)