頭を過信するなかれーというのが俺の信条。
「考える」って、人間が思うほど大したことない。頭から出てきたものなんて大したことない。人が「心」と呼んでいるもの。あれこそ大事だと思っている。これが、音楽をやってきて、曲を書いてきて学んだ最大のこと。
俺は、頭から曲を捻り出すことを「作る」と呼んでいる。作った曲は、作った時の感覚や記憶が残るけど、心に浮かんだり、閃いたりして生まれた曲は、生まれた時の感覚や記憶が驚くほど残らない。そして、作った曲がボツになる可能性は高いけど、生まれた曲がボツになる可能性は限りなくゼロに近い。だから、「頭じゃない」となる。「心から愛してる」とは言うけど、「頭から愛してる」とは言わないし。
ところで、認知症というのは認知力の低下を言うんだから頭の問題だ。裏を返せば、心は生きているということになる。ここに俺の信条をそっくりそのまま当てはめると、「心が生きてるんだからギリギリセーフでしょ」ってなことになりそうなものだが実際は違う。人間、頭が駄目になると恐ろしく駄目になる。本当に駄目になる。駄目にはなるけど、やはり、どうにもこうにも心は生きている。それは、どんなに深い認知症の人でも同じことが言えて、いかに行動や発言の形が崩壊していても、その人の人となりは残る。たかがオブラート。されどオブラート。良い人には良い人の、嫌な奴には嫌な奴の輪郭が変わらず残る。
人間、頭が駄目になっても生きていける。心さえ生きていればなんとか生きていける。でも、心が駄目になるようなことがあれば、たとえ頭が生きていても生きていけないと思う…っていうか、心が駄目で頭だけが生きているなんてことはありえない。
料理人が包丁を失うのと、包丁が料理人を失うのとでは、意味が違う。
と、この記事を見れば一目瞭然。俺は非常に頭でっかちな人間である(物理的にもデカい。でも、写真の人よりマシ)。なので、少しでも油断してると頭が出しゃばってきて、心に覆い被さって、心の邪魔をする。だから、酒を飲むか、ロックを聴くか、酒を飲みながらロックを聴くかして、頭に「引っ込め!」と言う。引っ込ませるだけでは飽き足らず、完全に頭から解放されたいと思ったら、これはもう、ギターを抱えてステージに上がるしかないのである。