火を司る美しき魔女

⬆︎実物。

アメリカで生まれて海を渡って名古屋に来て、縁あって俺に目を付けられて、今、大阪行きの車に揺られている頃だろうと思う。

決め手は杢目だった。俺には霊感なんてこれっぽっちもないけど、正面から撮った写真を見た時、その杢目に強く惹き付けられた。左半分に優等生的な縦線が走っていて、右半分に一般的な価値観で言えば敬遠されるであろう奇怪な柄。俺はそこに魔力みたいなものが蠢いているのを感じた。同じ年に同じ場所で作られた同じ色の同じ機種が100本並んでいたとしてもこれだと分かる強烈な個性。「私と組んで片っ端から燃やし尽くさない?」という危険な囁きが聞こえた。

早ければ23日に初対面。魔の契約を交わす。

※当記事をアップした約20分後に大阪の楽器屋から「只今到着しました」との連絡が入った。


10th anniversary

⬆︎旧友より賜った勲章。俺の中ではプラチナ製。

本日、当ブログ『一憩合格』が10周年を迎えた。10年。日数で言うと3650日。そして、この記事がちょうど3650本目に当たる。成し遂げた。感無量。

思えば、当ブログの開始はすなわち、俺という人間の復活の狼煙だった。28歳からの5年間。いわゆる「暗黒の大阪時代」をギリギリ生き延びて伊丹に戻って来て、絵を描くことと泣くことと散歩と飲酒に明け暮れた死にぞこない丸出しの一年を経て、34歳の時に始めたのがこのブログだった。以降、職を得て社会復帰し、性懲りもなくバンドの結成と解散を経験し、親父が死に、結婚し、友人(このブログを立ち上げてくれたバンド時代の戦友)の結婚式で歌ったことをきっかけに「和田怜士」が誕生し、コロナがあって志村けんが亡くなったりやなんかして現在に至る。

やはり、和田怜士の誕生。これが大きかった。暗黒の大阪時代も、死にぞこないとして生きた日々も、バンドという形態への諦めも、親父の死も、全てがここに結実したような感がある。「全ては産みの苦しみだった」という風に捉えれば、無駄な時間は一秒たりとも費やしてこなかった、あの時はああするしかなかったし、あれはあれで良かったんだと全肯定できる。振り返ると、全ての過去を見下ろしている自分がいる。今、俺が立っているのは、これまでで一番高いところだ。

和田一憩44歳。一憩合格10才。来月、5ちゃいの誕生日を迎える和田怜士を全力で支えながら、怜士の力にあやかってさらなる高みを目指していく。

⬆︎自分への褒美。なんだよ、黒霧の方が旨いじゃねえか…。


あと3日

泣いても笑ってもあと3日。あと3日で当ブログ『一憩合格』が10周年を迎える。10年…予想を遥かに超える感慨深さ。誕生日の比ではない。

世の中がこういう状況でなければ盛大に…はならないだろうけど、祝賀会を開催するつもりだった。事前に「3月13日のこの時間にどこそこの居酒屋にお集まり下さい」とだけ告知して、誰が来るのかわからないという状況でやりたいと思っていた。それも、飲み代は全て俺持ち。これがやりたかった。捨て身の大盤振る舞いでもって、読者の皆さんに日頃の感謝の気持ちを伝えたいと、実は数年前から考えていた。でも、状況が状況。どう考えても無理だ。無念…。

かと言って、何もしないわけにはいかない。個人的に、ささやかな祝賀会を開催しようと思う。いつもなら絶対に買わないちょっと高価な酒を買ってきて呑む…程度のことしか思いつかないけど、何もしないよりはマシだ。これだけ感慨深いのに何もしないというのはあり得ない。

この10年間、ただの日記ではなく、「俺はこう思う。こう考える。こう感じる」というのを書いてきた。それも凄まじいペースで書いてきた。同じことを凡人がやったら頭が破裂するか、こんな姿に成り果ててしまうかするだろう。

俺は大丈夫だ。たぶん、大丈夫だ。中身がどんなことになっているのかはさておき、少なくとも、見た目は大丈夫…なはずだ。

希望的観測だ。


三日月の憂鬱

もっとロックンロールに没頭したい。

音楽なんてどうでもいい。

クソっ喰らえ。

感じる。

不貞。

音。

理屈。

耳鳴り。

面倒臭い。

馬鹿ばっかり。

興味が持てない。

持たれた覚えがない。

ことごとく言葉にならない。

魅力的なノイズはロックンロールの中にしかない。


初のベスト盤 アルバムタイトル&ジャケットデザイン発表

Matthew 5:15

【the best of reishi wada 2016-2020】


俺の親父はキリスト教徒ではなかったが、若い頃から聖書を愛読していた。一緒に酒を飲んで喋っている時も、聖書から言葉を引っ張ってくることがよくあった。とりわけ親父が大事にしていたのは「あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである」という言葉だった。親父はいつも「ランプを机の下に置く者はいない」と言っていたが、これは俺に意味合いがちゃんと伝わるように無意識のうちにアレンジしていたんだと思う。いずれにせよ、親父がこの言葉を通じて言いたかったのは、「良いものが埋もれたまま終わるなんてことは絶対にない。いつか必ず引き上げられる」ということだった。

調べてみたところ、上の一節は聖書の「マタイ伝5章15節」にあった。そして、このマタイ伝5章15節というのを英語圏では「Matthew5:15」と表記することを知って、これだと思い、タイトルとした。意味合いは別として、親しみを込めて、江頭2:50みたいに「マシュー5時15分」と呼んでくれればいい。

ジャケットは俺の姿写真は使わないと決めていたこともあり、「あかり」の意味合いと「マシュー」という言葉の響きから連想してこれを選んだ。女子センス炸裂。

一刻も早く形にして皆さんの元に届けたい。っていうか、俺が欲しい(笑)


入口はこちら

制作が進んでいるのは『爆弾』だけではない。当ブログの読者の皆さんから頂いたリクエストをベースとした初のベスト盤についても、アルバムタイトルやジャケットデザインはまだこれからだが、音の方は完成間近となっている。度重なる試行錯誤の末、確定した収録内容は以下の通り。

  1. バタフライ(from『compass』)
  2. WHY?(未発表音源)
  3. 紙吹雪舞う(from『爆弾』)
  4. orange(from『eclipse』)
  5. グラサージュ(from『DABADA TV SHOW)
  6. 悪魔と呼んで(未発表音源※映像とは録音機材が異なる)
  7. waterfall(from『eclipse』)
  8. the answer song(from collage film)
  9. ストーカー (from『DABADA TV SHOW』)

何度か聴いてみたが、良い出来だからだろう、一瞬で終わるような感覚がある。「おかわり」と呟いて、繰り返し再生ボタンを押している自分がいる。

和田怜士初心者にはこのアルバムから入ることをオススメする。ここから入って、『DABADA TV SHOW』『eclipse』『compass』と進み、『爆弾』へと抜けてもらえれば、そこに俺がいる。


難産の異色作

<写真上>ブートレッグ(海賊盤)感満載の新ジャケット。「CAUTION」は【警告】の意。<写真下>従来のジャケット。大きめにプリントしたものを四つ折りにして封入する。

またもや『爆弾』が生まれ変わる。生まれ変わることになった経緯は以下の通りである。

  1. アルバムに「1977年のライブ」というコンセプトを持たせるに当たって、Dr.Fがマスタリングを一からやり直してくれた。
  2. 元々は同じセットリストで臨んだ2つのライブを1枚に纏めたものだったが、新たにマスタリングされたものを聴いて(パフォーマンスの点で)後半が圧倒的に良いことに気付き、前半をカットすることにした。
  3. 内容が大きく変わったことでコンセプトは不要だと判断。タイトルを元の『爆弾』に戻し、ジャケットデザインを変更した。また、このアルバムについては徹底的にブートレッグ感にこだわりたいのであえて帯を付けない。

ブートレッグとはどういうものなのか。その良さや面白さを知っているのはマニアックな欧米ロックファンのみであり、このアルバムは音からジャケットデザインに至るまで全てがそういった人たちを唸らせる為にあると言っても過言ではない。

俺自身は自分の作品の中でこれが一番好きだ。でも、だからといって、全ての人にこれを薦めるのかと言えば違う。薦めない。悪いことは言わない。やめときなはれ。

一般的なリスナーには絶対に理解できないあまりにも危険な音。それが『爆弾』なのだ。


決定!伊丹公演3days

何気なく伊丹DABADAの年間ライブ・スケジュールを覗いてみたら印象的な数字が隔月で並んでいた。

8月8日

10月10日

12月12日

全て第二日曜。これはきっと数年に一度の現象だろう。

もう当分伊丹で演ることはないと思っていたが、やり切ったのかと言われれば疑問が残る。故郷伊丹でやり切らぬままによそで「伊丹の和田怜士」を名乗ることにも違和感が残る。だから、やり切ることにした。セットリストを総入れ替えしながら3日とも出演して、トータルで30曲近く披露する。

誰が相手でも気にしない。俺は俺のライブをやる。全身全霊、ROCKする。


男にも色々な男がいて、女にも色々な女がいるから、一概に男はこうで女はこうだとは言えないが、仮にここに男の中の男と女の中の女がいるとして、俺の中の男女論みたいなものを少し書いてみようと思う。

男は女によって成長する生き物だと思う。我がの力だけではある地点までは成長できても、そこから先、成長できない。だから男はどんな形でも良いから女と関わっておくべきだと思う。女は男にとって教師である。一方、女は男の存在に頼らずとも成長できる生き物だと思う。ある意味では、最初から完成しているとも言える。ただ、完成はしていても時に修正や改善が必要で、ここに男の存在価値が出てくる。「人の振り見て我が振り直せ」という言葉は女の為にあるのではないか?とすら思う。女の修正点や改善点を身をもって示すのは、いつまで経っても完成形に至らぬ代わりに、死ぬまで伸びしろを保持し続ける男の役割。男は女にとって反面教師である。

男と女というのは、極端に言えば、成長と変化の違い。縦に伸びるのか横に伸びるのかの違いだと思う。

以上。ダンディーに攻めてみた。

やかましいわ…。