一杯引っ掛けた人たち。
男と女 2〜たぶん名言〜
女は極めて動物的な人間である。
男は至って人間的な虫である。
リーダーシップについて~リアムを心から憐れむ歌~
オアシスから兄貴が抜けて「オアシス解散」となった後、弟リアムと元オアシスのメンバーはビーディ・アイを結成した。そして、アルバムを2枚残しただけで解散してしまった。
オアシス解散後、リアムはオアシスのリーダーであった兄貴のことを「コントロール・フリーク」と呼んで口撃した。「コントロール・フリーク」というのはつまり「仕切り屋」のことである。「口やかましい仕切り屋がいなくなってせいせいしてる。ビーディ・アイはもっと自由に、メンバー全員がやりたいことをやりたいようにやるんだ」と言っていた。
かくして、ビーディ・アイの1stは、リアムの言うように兄貴不在から来る解放感に溢れた爆発的なものになった。これはロックンロール・アルバムとして素晴らしい出来だった。でも、2ndはめちゃくちゃ散漫なものになってしまった。口やかましい仕切り屋がいないことから来るまとまりのなさが目立つ、方向性の定まらないものになってしまった。
ビーディ・アイにはリーダーがいなかった。リアムはリーダーの器ではなかった。リアムは、本当は自信に乏しい人間なんだと思う。リアムのメンバーに対する優しさは、甘さは、リアムの自信のなさから来ている。その点、兄貴は嫌われ者でいることを買って出ることのできるくらい自信のある、素晴らしいリーダーだった。
弟には、リアムには、それが出来なかった。でも、ロックンロールというものは常に、リアムのような人間の味方だ。
☆2500☆
この記事で2500本目である。4年で2500本というのはなかなかの数字だと思う。
例えば、ストーンズは何故解散せずに活動し続けているのか。金のためじゃないのは確かだ。だって、吐いて棄てるほど持ってるんだから。じゃあ一体何のため?という次元の話だ。
思えば、私は何故このブログを続けているのか。金のためじゃないのは確かだ。だって、一銭にもならんのだから。じゃあ一体何のため?という次元の話だ。
ここまで来ると、もはや気持ちは「一人ローリング・ストーンズ」であり、やっていることは「ブログ」ではなく「ブルース」である。
ブルースは、日本文化でいうところの
演歌であり、落語である。継続することに意味があり、歳を重ねるたびに磨きがかっていくべきものである。
さすがに4年もやってると、2500本も書いてると、過去に書いたことの焼き直しみたいな記事が目立つようになってきた。この点についてはよく自覚しているつもりだ。でも、ストーンズは、ブルースは、ここからが勝負なんだと思う。同じような表現をし続けているように見えて同じではなく、どこかに必ず変化があって、進歩があるーと、こうこなくちゃいけない。
旧ブログ「イッケイノウタ」は物凄く内容が濃かった。これは誇るべきこと。でもその分短命に終わった。1085本で終わった。
「イッケイノウタ」がビートルズだとすると、「一憩合格」はストーンズなんだから、まだまだこれからが勝負だと思っている。
これから本当に面白くなるんだと思っている。







