誰か行け(お前が行け)

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例えば大吉。大吉にもピンからキリまである。美味い店もあれば不味い店もある。これを店構えだけで見抜けたら一丁前の酒呑みだと言える。

私は、この大吉は、間違いなく美味いと思う。かなり昔から目を付けていた。そのわりにはいまだに暖簾をくぐったことはないのだが、絶対に美味いと思う。イケてる居酒屋特有のオーラがある。

宝塚の安倉にある。


股間のプーチン

女々しい男が苦手です。と言って、あからさまにカマっぽいとかそんなんじゃなくて、日頃、やたらと男らしさをアピールしてるわりには、何だかよくわからない清潔感、清涼感に溢れているというか、一体何の為だかわからんが、自分を出し惜しみしている感じがあるというか、生き方に計算高さが目立つというか、人格の向こう側にもう一つの冷めた目があって、ネチネチした女々しさを感じさせる人が苦手です。

そんな人が、男が、あまりに多過ぎるように思う昨今です。


鍼と灸

尊敬している人から受ける的確な指摘は、お灸である。

完全なるバカだと思っていた人から不意に受ける反論の余地のない的確な指摘は、鍼である。

いずれ劣らず効く。効き過ぎて、時には数日間に及ぶ倦怠感に見舞われることもあるが、この倦怠感を乗り切りさえすれば、実にわかりやすく自分の成長を感じることができる。


先月の未完成未発表記事 ④

バンドをやっていた頃を思い出して、今さらながら「こうしとけば良かった。ああしとけば良かった」と思うことが二つだけある。

一つは「もう少し頻繁にレコーディングしとけば良かった」で、もう一つは「バラードを書き過ぎた」ということ。

まあ、今にして思えば、バラードを爆音でやるというのが私のスタイルだったのかもしれないが、それにしても、あまりに、ロックンロールらしいロックンロールを書かなさ過ぎたように思う。


先月の未完成未発表記事 ②

綺麗な謙虚に繋がる自己評価の低さは美徳だと思う。でも、他人の落ち度を探すことからしか自己評価を上げられない人の自己評価の低さは、綺麗な謙虚には到底繋がり得ない下品なものだと思う。

下品な人に共通して言えるのは、プライドが高いということだと思う。自己評価が低くてプライドが高いというアンバランス。たぶん、自己評価の低さをプライドで補おうという魂胆なんだろうけれども、どうせなら、自己評価が高くてプライドがないというアンバランスの方が潔くて良いと思う。


先月の未完成未発表記事 ①

当ブログには、コメントというものがほとんどと言って良いほど入らない。でも、だからと言って、読者がほとんどと言って良いほどおらず、当ブログ自体が完全に私の独り言に終始しておるのかというとそうではない。

ベテラン読者の方々はご存知のように、一時期、当ブログの読者数は1000を越えていた。私が音楽活動から遠退くにつれて読者数は減少の一途を辿ったが、それでもなお、今でもなお、当ブログの読者数が100を割ったことはない。某人気ブログチャートに於いても、当ブログは常になかなかの位置をキープしている。

大丈夫。あなたは何も、読んではいけないものを読んでいるわけではない。あなたの他にも読んでいる人が少なからずいるわけだから、それを信じて、堂々と読めば良い。

当ブログは、田舎の酒屋の片隅に打ち捨てられたように売られているエロ本とかそんなんじゃないんだから。


断言

男は女を、女は男を、ルックスで選ぶべきだ。ルックスにこそ、全てが表れている。見た目が全てだ。間違いない。

見た目が全てだ。ブサイクはアカン!

断言する。性格の良いブサイクなんていない。性格が悪いからゆえのブサイクだ。

見た目が全てだ。ブサイクはアカン!

美醜は作りの問題じゃない?馬鹿野郎!いい歳をして何を言ってやがる!

完全に作りの問題だ!