メトロノームでチッ!チッ!チッ!
以前できていたことができなくなっている自分がいる。
以前できなかったことができている自分がいる。
以前勝てていた奴に負けている自分がいる。
以前負けていた奴に勝てている自分がいる。
その時々の必要に応じてアホほど素直に変化を繰り返している自分がいる。でも、どう変化しても、常に「一長一短」が付きまとう。
BJCを聴きながら
昔は「どんな音楽が好きなんですか?」との問いに「ロック」と答えていた。いつからか「ロックンロール」と答えるようになった。
それはたぶん、「ロック」と答えるよりも「ロックンロール」と答えた方が重症な感じがして、私という存在を早々に諦めてくれるような気がしたからだと思う。別世界に生きる人間として、放っておいてくれそうな気がしたからだと思う。
だって、死ぬほど好きなものについて懇々と説明することほど面倒臭いものはないんだから。
溺愛と信仰
言葉とメロディーとリズムと。
例えば、文学って音楽そのものだと思う。絵画だって音楽だと思う。人間関係だって、突き詰めれば、音楽だと思う。
死ぬほど音楽が好きで、音楽についての分析力と吸収力が人並み以上なら、社会的にも、大概のことは、ある程度できるはずだと思う。
頑張れバンドマン!
俺はアンタらの自信のなさが愛おしくて大好きなんだけれども…大好きなんだけれども、アンタらは、ホントは、自分が思ってるよりもずっとずっとできる人間だと思うぞ。
我々には音楽が憑いている。
変態観測
思えば、18の時から1日たりとも酒を絶ったことがない。途中、気管支炎やインフルエンザを患ったりしたが、その時も酒を絶たなかった。「呑めば治る」くらいに思っていた。
思えば、思い出せないくらい昔から1日たりともロックンロールを絶ったことがない。1日に一度は必ずロックンロールを聴いてきた。生きるということについて何が何だかさっぱりわけがわからなくなって自暴自棄極まっていた時にも、ロックンロールを聴くことを忘れることはなかった。「聴けば治る」くらいに思っていた。
ところで、酒を呑みながら聴くロックンロールとシラフで聴くロックンロールとでは、同じロックンロールでも聴こえ方が全然違うことを皆さんはご存知だろうか。シラフで聴くロックンロールがただの音楽なら、酒を呑みながら聴くロックンロールはただの音楽ではなく、別の次元へと昇華されたもの。言うなれば、細胞レベルにまで浸透する麻薬なのである。これはつまり、人間の感受性にも毛穴的なものがあることを意味している。つまり、酒を呑むことで感受性の毛穴が開き、そこにロックンロールが怒涛の如くに流れ込むということ。気持ちいいに決まっている。これは、「軟膏は入浴後に塗ると効果が増す」というのと同じ理屈である。では、この麻薬をやり過ぎるとどうなるのか。やり過ぎることをやり続けた人間の末路はいかなるものなのか。私が我が身をもって皆さんの前に提示いたしましょう。でも、たぶん、きっと、そんなに悪いものにはならないーというのが私の希望的観測である。




