見ての通り、百均で売ってる枕元用のライト。つい先日購入したのであるが、我が家にはちょっとしたしきたりがあって、これを押す時には必ず「越後製菓!」と言わねばならんのである。
夜中に目を覚ましてトイレに行きたくなった時には、隣で寝ている奥さんを起こさないようにこっそり「越後製菓…」と呟いてライトにタッチし、暗闇の中をヨチヨチとトイレ目指して歩いていって、戻ってきたら戻ってきたでまたこっそり「越後製菓…」と呟いてライトを消して布団に潜り込むのである。
高橋英樹はアホである。
今日は親父の命日。去年の今日、親父は死んだ。
本当に死んだのか?
疑わしい。
親父が死んだという実感が、今だに、本当に、これっぽっちも無いから、今だにちっとも哀しくない。
今日は親父の命日。去年の今日、親父は死んだーということになっている。
最近、「お前が人と同じことしててどうする!」という親父の言葉をよく思い出す。子供の頃から何につけ、人と同じことをしてると怒られた。
「自分らしい」というのは、もうそれだけでかなり奇抜だ。わざわざ奇を衒わずとも、ただ自分らしくあるだけで十分に奇抜だ。
割と追い込まれた状況にあって、開き直らざるを得なくなって開き直ったら、自然と「自分らしさ」が目を覚まして、別に奇を衒ったわけでもないのに、随分と奇抜な、面白い表現をしている自分がいたりする。
幸いなことに私は、「自分らしさ」なるものを忘れずに覚えていて、まさに今、それを思い出す必要に迫られていて、イラつくくらい徐々にではあるが、思い出しつつあるのかもしれない。
一糸纏わぬ「個」というのは、ただそこにあるだけで十分に奇抜で、思いも寄らない形勢逆転の糸口となることが多々あるけれども、自分の「個」が一体どんなものなのかをよくわかっていなかったり、自信が持てなかったりして、取り繕って、他人の、どこかで聞いたような言葉を真似て吐き始めた時点から、全てが当たり障りのない、奇跡的なものを起こし得ない、いちいち予定調和な、つまらないものになってしまうような気がする。
ただ「思い出す」ということが恐ろしく難しい大人という生き物。そもそも、何故忘れてしまったのかさえ思い出せない難儀な生き物ー大人。