ヒデキズムの継承

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見ての通り、百均で売ってる枕元用のライト。つい先日購入したのであるが、我が家にはちょっとしたしきたりがあって、これを押す時には必ず「越後製菓!」と言わねばならんのである。

夜中に目を覚ましてトイレに行きたくなった時には、隣で寝ている奥さんを起こさないようにこっそり「越後製菓…」と呟いてライトにタッチし、暗闇の中をヨチヨチとトイレ目指して歩いていって、戻ってきたら戻ってきたでまたこっそり「越後製菓…」と呟いてライトを消して布団に潜り込むのである。

高橋英樹はアホである。


天日神社〜動揺〜

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大雨が降ってきてどよめく夜店のテントの中。

「アカン。ごっつ降ってきたで」
「中止か?」
「でもこのソバどないすんねん」
「とりあえず焼いとこ」

豪雨の中、焼きソバを買って帰って食ったらものの見事に美味かった。


コロッケーズ

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近所のコンビニの店頭で強烈な異彩を放っており、買って食ったらものの見事にマズかった。

「駄菓子」の「駄」の意味するところを知りたければコレを食え。「コロッケ」の「コ」の字も無い味があなたを待っている。


ビートルズを聴きながら

今日は親父の命日。去年の今日、親父は死んだ。

本当に死んだのか?

疑わしい。

親父が死んだという実感が、今だに、本当に、これっぽっちも無いから、今だにちっとも哀しくない。

今日は親父の命日。去年の今日、親父は死んだーということになっている。


思い出せ!

最近、「お前が人と同じことしててどうする!」という親父の言葉をよく思い出す。子供の頃から何につけ、人と同じことをしてると怒られた。

「自分らしい」というのは、もうそれだけでかなり奇抜だ。わざわざ奇を衒わずとも、ただ自分らしくあるだけで十分に奇抜だ。

割と追い込まれた状況にあって、開き直らざるを得なくなって開き直ったら、自然と「自分らしさ」が目を覚まして、別に奇を衒ったわけでもないのに、随分と奇抜な、面白い表現をしている自分がいたりする。

幸いなことに私は、「自分らしさ」なるものを忘れずに覚えていて、まさに今、それを思い出す必要に迫られていて、イラつくくらい徐々にではあるが、思い出しつつあるのかもしれない。

一糸纏わぬ「個」というのは、ただそこにあるだけで十分に奇抜で、思いも寄らない形勢逆転の糸口となることが多々あるけれども、自分の「個」が一体どんなものなのかをよくわかっていなかったり、自信が持てなかったりして、取り繕って、他人の、どこかで聞いたような言葉を真似て吐き始めた時点から、全てが当たり障りのない、奇跡的なものを起こし得ない、いちいち予定調和な、つまらないものになってしまうような気がする。

ただ「思い出す」ということが恐ろしく難しい大人という生き物。そもそも、何故忘れてしまったのかさえ思い出せない難儀な生き物ー大人。


世界の北野

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北野の盆踊りに行ってきた。

盛り上がり方がひゃんぱない!
人口密度がひゃんぱない!
あの爆裂感はパンクだ!

焼きそばとフランクフルトとタコ焼きを食ったが、タコ焼きが黒く干からびたおじいちゃんのタマキンみたいで微塵も旨くなかったぜ!