ブックオフで流れているのを耳にして思った。
「手をつないだら行ってみよう」というサビまでの流れが強引過ぎる。いきなりくる。サビ前のメロディはめちゃくちゃ弱いのに、サビに来ていきなり「聴け!」とばかりドカンとくる。サビ前の弱さでサビを引き立たせておいて、サビであたかもドカン!ときているような気分にさせる。
サビで勝負!私の一番嫌いなパターン。日本のアーティストはこればっかり。たぶん、サビから作ってるからだろうね。年寄りが「ナウい」と踏んで作る歌謡ロック。
ダサい。
ブックオフで流れているのを耳にして思った。
「手をつないだら行ってみよう」というサビまでの流れが強引過ぎる。いきなりくる。サビ前のメロディはめちゃくちゃ弱いのに、サビに来ていきなり「聴け!」とばかりドカンとくる。サビ前の弱さでサビを引き立たせておいて、サビであたかもドカン!ときているような気分にさせる。
サビで勝負!私の一番嫌いなパターン。日本のアーティストはこればっかり。たぶん、サビから作ってるからだろうね。年寄りが「ナウい」と踏んで作る歌謡ロック。
ダサい。
妥協なき満足なんて存在しない。
ストーンズが今だにカッコ良くて、今だかつて一度たりとも「世界最強のロックンロール・バンド」の座を他に譲ったことがないというのはひとえに、50年もの永きに渡って「満足できねえ!」と歌い続けてきたからだと思う。70のジジイがステージ上を所狭しと走り回りながら「I can’t get no !Satisfacthon !」って叫んでる画というのは、これはもうロックンロールの在り方として、文句の付けようがない。完璧だと思う。
「足ることを知る幸せ」みたいなことを仏教は言うが冗談じゃない。人間は満足した瞬間から無駄に老け始めるんだと思う。
満足するために努力すること自体は決して悪いことじゃないし、悪いことどころか、それこそ人生の醍醐味だとは思うけど、でも、ちょっと満足するためにナンボほど妥協しているのかという話だ。
キースいわく「俺達の曲はまだどれも完成してねえんだ。だからまだまだやめるわけにはいかないんだよ」
宝塚安倉に奇妙な店ができた。昼食時と夕食時には饂飩屋としてうどんを提供し、それ以外の時間にはカフェとしてコーヒーやケーキを提供する「うどんカフェ」である。
私はてっきり、頭の狂った店長がうどんのスープとしてコーヒーを使用しているアナーキーな店なのかと思ったのだが違った。時間帯によってうどん屋になったりカフェになったりする、リバーシブルな飲食店だったのである。
店内にはキッズルームや授乳室まであり、実に良心的な店ではあるが、いかんせん詰め込み過多な印象が拭い切れず、時間の経過とともに土俵、風呂、使用感に満ちた回転ベッドなど余計なものをさらに詰め込んで、やはりあすこの店長は気が狂っておるのではないか?という憶測が飛び交い始めたが最後、近隣住民の「気持ち悪っ」なる声なき声の下、3年以内に消滅すると思う。
「血も涙もない」で思い出した。
我ながら、私が「モナリザ」という曲の中で書いた「血も涙もない君の力を信じている」というフレーズは最高だと思う。ライヴ中、ここんところで何度泣きそうになったことか。
ま、人間のことを歌ってるんじゃないんですけどね。
今年に入って、身内、身内でないを問わず、身の周りで相次いで人が亡くなった。まるで将棋倒し。いつ止まるのか不安に思ったほど。
短期間の内に、これだけ多く人の死に触れるというのは生まれて初めてのことなので、それなりに動揺しても良さそうなものなのだが、私は、私自身が自覚している範囲でいえば、そんなに、大して、動揺しなかったように思う。なぜ動揺せずに済んだのか。それはたぶん、いちいち動揺するにはそういうことがあまりに連続し過ぎたからで、これがもし単発的なものだったら、いかに血も涙もない私と言えども、もう少し動揺していたのかもしれない。
いずれにせよ、私は今、何だかわけのわからない脱力感にやられてにっちもさっちもいかない有様。親父が逝ったことをもって、将棋倒しがとりあえず一段落したらしく、一段落したと見て、身体の力を抜いて一息付いた時から、抜いた力が戻らなくなってしまった。背骨が抜けたと言うか、腰が砕けたと言うか…う〜ん、言うに言えん。
そういえば、今年に入ってからというもの、私は呼吸の仕方を間違え続けているような気がする。吐かずに吸ってばかりいる。それも、音を立てずに細かくクッ!クッ!ってな塩梅。何度練習してもクロールの息継ぎができなかった学生時代の、あの感覚を思い出す(って、クロールの息継ぎは今でもできないけど…)。36にもなって呼吸一つまともにできないとはいかなる禍事か。
吐かねばなるまい。ちゃんと吐かないからちゃんと吸えない。吐かねば吸えない。だからと言って、ただ息を吐くだけというのも何だから、ここらでいっちょ、叫びたい。
メェェェェ。
「理路整然」という言葉が生まれた所以を知りたい。
メルヘンか?
定規がないとロクに直線も引けない人間の、人生の、どこに「理路整然」などという言葉が生まれる土壌があるのか、知りたい。